心配していた沖縄の言葉は、元沖縄県議会議員(社民党)の平良長政(75)も太鼓判を押す。

「フィクションなんだけど、ノンフィクションがちりばめられている。真藤さんは沖縄の方言と標準語が交じる独特の表現に沖縄で反発を受けないか心配していたようだけど、ぜんぜんない。ぼくが知らない沖縄方言もあった。ぼくらは(戦果アギヤーを)“センクヮ”と呼んでいて、英雄というより、日常茶飯事のことだったけどね」

 真藤を知る人は「並外れた憑依型の書き手」と口を揃える。沖縄取材での経験といい、確かに真藤の話を聞いていると「書く」というよりも、もっと大きな存在に「書かされている」のではないかという気がする。

 真藤は「小説家はみんなそうじゃないかなあ」と微笑みを浮かべつつ、こう続けた。「足の裏にはもう一つの脳ミソがある気がする」と。

「歩くと思考が活性化して、その土地から物語が立ちのぼってくるんです。写真も撮りません。特に沖縄では、土地自体がしゃべり出す声や語りのようなもの、エイサーの響きや民謡の合いの手のイーヤーサーサーみたいなリズムも聴こえてきて、それがそのまま『宝島』の文体になっていきました。そういう稀有な体験に、自分自身もすごく救われたところがありました」

■この社会に生きる読者が一生を肯定できる物語を

 もしかしたらこの小説家は「沖縄」の地霊に憑依されたのでないか。真藤は以前からアニミズム(生物、無機物を問わず、すべての物には霊魂が宿っているという考え)に強く惹かれる性向があり、「人間の源泉というか、原初の世界に入っていく物語を書きたい」と語っているが、沖縄の日常にはまだそれが生きている。戦後の沖縄を生き抜いた人々の言霊に真藤がシンクロし、シャーマン化したように思える。

 10月の3連休、妻と9歳の娘と5歳になる息子で、神奈川・横須賀の海で遊ぶ真藤を訪ねた。子どもたちがシーグラスを集めているのだという。家族4人で、楽しそうにガラスのかけらを探す姿からは、『宝島』で苦悩した跡は見当たらない。

 真藤が作家として影響を受け、『庵堂三兄弟の聖職』の文庫の解説を書いている作家・平山夢明(57)に真藤の話を聞いたとき、真藤の作品の世界を「照れ屋の現世肯定」と言ってのけた。そのことをふと思い出し、その意味を聞いてみた。

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