小説家になる夢を叶えた真藤は、精力的に執筆に取り組む。しかし数年もすると、ひどいスランプに陥った。

「デビューから5年目ぐらいで新しい注文が来なくなって、前に来た依頼をこなしているだけ。何を書いても反響がないし、売れない。書いた小説もたびたびボツを食らっていました」

 学生時代にアルバイトをしていたバーテン稼業に戻ろうかとも考えた。布団から起き上がれないときもあった。気がつけばビルの屋上に足が向いていてハッとすることもあった。

 うつ的な精神状態の中、『宝島』の取材と執筆がスタートする。

「戦果アギヤーを書きたい気持ちは、2010年ごろからあった。最初は琉球警察を舞台にするつもりが、だんだんプロットの主軸が“追われる側”に移っていった。沖縄の戦後の証言集や当時の新聞のアーカイブを読み、元戦果アギヤーの証言をまとめた資料も読み込んだ。沖縄の先輩作家の大城立裕さん、又吉栄喜さん、東峰夫さん、目取真俊さんの本も読みました」

 沖縄にも取材で3回訪れた。節約するために車中泊で、沖縄の街中など、物語の舞台を徘徊するようにひたすら歩き回った。閃きがあるとすぐにノートに書き込んだ。主人公で戦果アギヤーの一人、「グスク」(沖縄で城の意味)という名前や設定も路上で思いついた。

 沖縄の街を取材していると、不思議な感覚に陥った。

「現地を歩いているとオーバードーズのようにすごく疲弊する感覚があったんです」

 それまでそんな感覚をおぼえたことはなかった。普段から取材をするときは、歩きながら、風景を文章でスケッチしていく。スケッチに比喩が交じり、詩情がポッポッと出てきて、だんだん小説の文章になっていくという。だが沖縄では、その書きとめる手が追い付かないほど文章表現が湧いてきて、これまでに読んできた物語や神話を思い出したりもした。コザの路地が暴れ馬に見えたこともあった。

「塀に無造作に貼られた政治スローガンを書いた貼り紙や、スラブ造りの階段、三叉路に立つ石敢當(沖縄の魔除け)、道端に生えるガジュマルの木、入り組んだスージグワー(小路)……。沖縄の風景の中を歩きながら、ここでは誰がどんな暮らしをして、何を話していたんだろうと考えていました」

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