■枢機卿へ任命の知らせ「ウソでしょう」

 長崎県・五島列島の潜伏キリシタンの末裔である。18年には長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。そして今年はローマ法王が被爆地・長崎訪問へ。爆心地はカトリックの聖地、浦上である。そこに前田の枢機卿就任が重なった。偶然にしては、意味ありげな事柄が連鎖している。被爆者だけでなく、多くの長崎市民も、被爆地に立った法王がどんな言葉を発するのか、高い関心を持って見つめている。

 9月には、バチカンの広報担当枢機卿としてローマへ赴く。現在の大阪大司教としての務めに加え、枢機卿の仕事が加わった。何が変わったのか。

「最も変わったのは、皆さん方のようなメディアの取材がとても増えたこと。講演などの依頼も多くなりました。それに応えるのも私のミッションなのかなと、最近では思うようになりました」

 法王来日へ向けての準備は準備委員会を中心に進められていて、「のんびり構えています」と悠揚迫らざる口ぶりで語る。それでも1年数カ月前まで、こんな状況になるとは想像もしていなかった。

 18年5月、なんの前触れもなくある知らせが飛び込んできた。同月に任命される枢機卿14人の中に前田の名前があるというのだ。前田がNHK大河ドラマ「西郷どん」を観終わった頃だった。東京大司教区の大司教、菊地功から電話があった。

「おめでとうございます」

 何のことか。前々から日本人の誰かが枢機卿になれればいいと思っていた。しかしまさか自分が。「ウソでしょう。デマでしょう」と半信半疑の所へ次から次へとお祝いの電話やメールが入りだす。その日は聖霊降臨祭の大祝日の日。俳句をたしなむ前田は、その時の心境をこう詠んだ。

「青天の 霹靂(へきれき)のごと 降臨祭」

 驚いたのは、前田だけではなかった。前田をよく知る者たちの誰もが皆、驚いた。と同時に、「やっぱり人柄なのかな」と納得もした。

「枢機卿になるには、ローマに留学したとか、何カ国語かを話せるとかが普通でしょう。だからまさか枢機卿になるとは思ってなかったですよ」

 そう語るのは、前田が長崎県五島市・久賀島の浜脇教会主任神父だった当時を知る、久賀島体験交流協議会会長の宮本實男(72)。信徒代表なども歴任してきた。

「前田さんは、若い頃からなんでも一生懸命。小中学校主催の運動会の100メートル走で、倒れて、泡を吹きそうになるぐらい全力でやる。運動に限らず他のこともそうだった」

 その一つが釣りだ。仕事場は海沿いの教会。空いた時間や夜に、イカ釣りや魚釣りに出た。

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