「子どもの時、大人から本当に可愛がってもらいました。地域の子どもはみんなきょうだいのような感じでね。だから安心感があるんだね」

 仲知に住む前田の母方の従兄弟、島元等(79)は、仲知の共同体意識の強さをそう話す。ベースにあるのはカトリックの信仰心。前田が子どもの頃の仲知は全住民がカトリックで、各家から必ず神父かシスターを出すのは当たり前だった。前田家も万葉以外に姉妹の中からシスターが1人出ている。

 11人きょうだいの長男だった前田は、小学校を卒業すると、神父を目指し、長崎市・浦上地区にあるカトリック系の長崎南山学園中学校に入学。親元を離れ、木の葉のように揺れる船で8時間かけて長崎へ。朝5時半に起きて、雪の日でも外で体操をするような神学校での厳しい寮生活。休暇で実家へ帰る時は幸福感で満たされた。長崎に戻る時は、苦しくて海に飛び込みたくなった。

 少年時代、前田は「なぜ信者にしたのか」「なぜ神学校にやったのか」と親に対して恨みを口にした。ミサに出たり、カトリックの勉強をしたり、厳しい寮生活を送らねばならなかったりと、カトリックではない同級生と比べて不自由と感じたからだ。ただ、きょうだいの誰かを神父にしたいという親や周囲の期待に応える誇りも感じていた。

「それでも神父になるにはきついんだぞ、と言いたかったのです」

 同学園の高校に進級。卒業後、福岡市のサン・スルピス大神学院へ。75年司祭となり、五島・福江教会の助任神父を皮切りに、五島・久賀島、平戸、佐世保、平戸と、主に潜伏キリシタンの歴史を刻んだ土地の教会の主任神父を歴任。東京のカトリック中央協議会事務局長、広島司教区司教、大阪大司教区大司教を経て、昨年、枢機卿に。

 カトリックの神父になるには結婚しないことが条件だ。教会法に定められている。カトリック全体が家族であり、神父は皆のために平等に働くものという考えがあるからだ。結婚せず自分の家族を持たないことについて、「神父になって3年目に父親が亡くなり、長男として家長の役割を果たしてきたし、元の家族がいるので、寂しさはない」と前田は話す。

 結婚できない制約はあっても、神父になったのは、段階を経て自然と納得していったからだと話す。「洗礼を受けたこと、神学校に通ったことを感謝しているし、司祭の生活は自分にふさわしい。神様が使命を与えてくれたんだと思っています」

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