■ミサに始まり相談や会議も 休むのは落ち着かない

 兄と同じように司祭への道を目指していた三男の小島澄人(64)は、万葉が神父になったことで、司祭にならず、いまは神奈川県川崎市や横浜市、東京都町田市、稲城市などで計2千人の幼稚園・保育園児を抱える教育者、教育事業者として成功を収めている。中心である柿の実幼稚園は、自閉症やダウン症、発達障害、難病などの子どもたちを積極的に受け入れ、約200人が通園している。17年に「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞の厚生労働大臣賞にも選ばれた。「みんな違ってみんないい」。運営のベースには澄人のそんな考えが反映されている。原点は兄、万葉にある。澄人が物心がついた頃、小学校高学年だった万葉が身体に障害のある子を自宅に連れてきたことがあった。万葉は、その子と仲良く、楽しそうに遊んでいた。その姿を見て、澄人はどんな人とも仲良くなれるし、誰もが人間との関わりを望んでいるのだと感じた。

 450年あまり前、大航海時代の波に乗って長崎に渡来したカトリックは、日本の西端、五島列島に根付き、禁教と迫害の嵐に見舞われた。信徒は耐え、やがて信仰は復活。その一つの家系から育った信者が、カトリックの中心バチカンの最高顧問団の一人となった。カトリックの歴史でも稀に見る潜伏キリシタンの精神性の高さを、前田は体現していると言ってもいいだろう。

 カトリック信者約5万人を抱える大阪大司教区の大司教でもある前田の毎日は多忙だ。丸1日休んだことはない。朝のミサから始まり、職員が出勤してくる午前9時から夕方5時まで電話や相談に対応し、教区内の様々な会議に出席する。原稿執筆や講演など自分の仕事をこなすのはすべて夜。

「自由業みたいなもので、自分のことはすべて自分でコントロールしなければならない。休むと落ち着かなくて、休日も何かしている」

 釣りも好きなスポーツもできない。もっぱら俳句に精をだす。

 万葉は本名である。子ども時代、「マンヨウ! センヨウ!」と仲間から冷やかされた。「なんでこんな名前を付けたのか」と親に文句を言っていた。父の兄で神父の前田朴が、奈良の万葉の里を散策するのが好きで、自分のきょうだいの子どもにつけたかったのだという。前田の父親も自分の子どもにと望んでいた。いまでは「万葉」が俳号となった。本格的に俳句に親しむようになったのは、長崎県佐世保市の俵町教会時代、俳句好きのカトリックの関係者から誘われたのがきっかけだ。ただ神学生時代、父親が手紙に必ず俳句や短歌をしたためていて、自ずと親しむようになっていた。こんな句がある。

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