「九条は 十字架という 終戦日」

 自衛隊のPKO(国連平和維持活動)派遣で揺れていた1990年代初頭、「立憲の精神を忘れ、国際世論に気を取られていると、肝心な平和を失ってしまう」という危機感から詠んだ句だ。

 平和を希求する気持ちは強い。母親が長崎で被爆している。母は足が腫れたり、手の指が固まったりして手術した。疲れやすくて寝込むことが多かった。すぐ下の弟(次男)は白血病を患った。前田自身もビュルガー病という動脈が炎症を起こして血管が細くなり、血行障害を起こす難病で2度手術している。医者に被爆との関係性を問うても否定されたが、被爆二世であることは前田の意識から消えることはない。

 8月6日広島、9日長崎。前田は、毎年被爆地を訪れる。ローマ法王来日予定の今年、前田にとって二つの都市の持つ意味が、いっそう重みを増すものとなる。

(文中敬称略)

 ■まえだ・まんよう
 洗礼名「トマス・アクィナス」
1949年 長崎県南松浦郡新上五島町仲知に生まれる。潜伏キリシタンの末裔、前田年増、キヨコ夫妻の長男(11人きょうだい)。母の幼馴染みに同じ仲知出身の元長崎市長・本島等がいる。明治時代初期、父方の曽祖父は家族9人一緒に五島・久賀島の牢に入れられ、拷問を受けて妹3人が殉教。母方の曽祖父は五島・野崎島で平戸藩からの責め苦を受ける。
  61年 神父を志していた父(教員)の勧めで、中学からカトリック系の長崎南山学園中学校に進学。神学生としての生活に入る。帰省は長崎市から船で片道8時間。神学校でのつらい寮生活から解放される喜びを、長崎に戻る時には、苦しい思いを抱いて船に乗った。
  67年 同高等学校を卒業。サン・スルピス大神学院(福岡市)入学。
  75年 3月、同校卒業。同19日、司祭叙階。4月、五島・福江教会助任。
  76年 3月、五島・浜脇教会(久賀島)主任。教会の前の海で、毎日のようにイカや魚を取っていた。ある日、一晩中夢中でイカ釣りをしていてミサに遅れそうになり、慌てて駆け付けたら額にイカ墨が垂れていた。
  80年 3月、平戸・宝亀教会主任。
  88年 7月、佐世保・俵町教会主任。司牧の傍ら、長崎教区報「よきおとずれ」編集長を務める。この時期、小教区評議会議長から勧められ、俳句を本格的に始める。以後、講話や説教にも俳句を使うようになる。俳号「万葉」。
  98年 4月、平戸・田平天主堂主任。
2000年 3月、司祭叙階25周年。
  01年 4月、平戸ザビエル記念教会主任、平戸地区長、教区顧問。
  06年 4月、カトリック中央協議会事務局長就任。
  11年 6月、広島教区司教に任命。9月、司教叙階。
  14年 9月、大阪教区大司教着座。
  17年 10月、著書『烏賊墨の一筋垂れて冬の弥撒(ミサ)』(かまくら春秋社)を出版。
  18年 6月29日、日本人6人目の枢機卿に就任。「青天の霹靂」と自身驚く。

■高瀬毅
1955年、長崎市生まれ。著書に『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』『ブラボー 隠されたビキニ水爆実験の真実』など。本欄では、林田光弘、池田清彦、安田菜津紀、西田敏行などを執筆。

※AERA 2019年8月12-19日号

※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ