別カットの背景の建物が1936年に竣工した「岩田屋本館」(現・岩田屋三越)で、西鉄福岡駅に隣接するターミナルデパートとして盛業していた時代の一コマだ。1968年末の撮影で、クリスマス・歳末セールの垂れ幕とともに、二年後開催の「EXPO’70 大阪万国博覧会」のカウントダウンも始まっていた。
この101系120は九州電気軌道が1914年に増備した旧35系の一両で、北九州線からの移転組だ。製造は旧1系と同じ川崎造船で、窓周りや台車などの仕様が変更されていた。
岩田屋本館は2004年に閉鎖され、その跡地には2010年から「福岡パルコ」が開業している。廃止された市内線ともども、半世紀という時間の流れを痛感させられる。ちなみに、福岡市内線から101系木造車が引退したのは1970年4月だった。
■天神交差点の「ダイヤモンドクロッシング」
最盛期の福岡市内線の運転系統は17系統あり、そのうち天神交差点のダイヤモンドクロッシングで交差、右左折する系統は15に及んだ。その内訳は、天神交差点を東西に横断する明治通に敷設された貫線に六系統、南北に縦断する渡辺通に敷設された循環線に六系統、貫線・循環線の双方を繋ぐ渡り線に三系統となっていた。
これは東京都電編で「10の系統が集まった須田町交差点は都電最大のホットコーナー」と記述したが、天神交差点はこれを五系統も上回る日本一のホットコーナーであったことが判明した。
別カットは、天神交差点の南西側の歩道から県庁前方向の明治通を撮影。今では全て旧名となった「三菱銀行」を筆頭に「大和證券」「東海銀行」「日本勧業銀行」などの金融・証券会社が軒を連ねていた。画面を左右に横切っている軌道が循環線で、交差する貫線との渡り線も見える。右側が天神停留所方向で左側が那の津口(なのつぐち)停留所方向だ。
貫線を走っている1系統九大前行きの他に7両の路面電車が画面中に写っており、人と車で賑わう天神交差点の繁栄ぶりがおわかりになるだろう。
福岡市内線と西鉄・天神大牟田線がダイヤモンドクロスする一コマも紹介しよう。当時、西鉄・天神大牟田線の福岡市内区間は全線が高架化されておらず、市内線の城南線・城東橋~薬院大通と天神大牟田線・薬院~西鉄平尾の駅間で平面交差していた。この平面交差は電車線電圧が600Vと1500Vと異電圧だったことから、電車線にどのような絶縁方法が施されていたのか、興味は尽きない。
551系は1951年の新造で、戦後の復興輸送に貢献した。晩年はワンマンカー改造を受け、福岡市内線が全線廃止される1979年2月まで使命を全うした。
筆者の西鉄福岡市内線詣では1968年で終わっている。この時代の九州は国鉄蒸気機関車の宝庫で、筆者が撮影目標を路面電車から蒸気機関車に切り替えたことが、疎遠になった要因である。
本稿を書きながら「憧れだった木造路面電車に、最後の告別をすべきだった」という後悔の念に駆られている。
■撮影:1968年3月16日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。10月8日から14日まで、東ドイツ時代の現役蒸気機関車作品展「ハッセルブラド紀行/東ドイツの蒸気機関車」を「KAF GALLERY」(埼玉県川口市)にて開催予定。