古刹「八坂神社」西楼門をバックに四条通りを走る1系統千本今出川行きの市電(撮影/諸河久:1969年12月23日)
古刹「八坂神社」西楼門をバックに四条通りを走る1系統千本今出川行きの市電(撮影/諸河久:1969年12月23日)

■京都市電は環状運転がお家芸

 四条河原町から繁華な四条通りを東に歩くと、鴨川に架かる四条大橋が見えてくる。鴨川を渡ると、南東方向に京阪電気鉄道/京阪線の四条駅が視界に入ってくる。ここでは、四条通りを走る京都市電と京阪線が平面交差する電車ファン垂涎のシーンが見られた。

 別カットは京阪線との交差を終えて四条河原町新京極に向かう1系統千本今出川行きの市電500型だ。背景は桃山意匠の「京都四条南座(以下南座)」の伽藍だ。南座は鉄骨鉄筋コンクリート五階建てで、白波瀬工務店の設計施工により1929年に竣工している。いっぽう、市電518は1928年の梅鉢鉄工所製で、共に昭和初期の旧き時代を髣髴とさせてくれる一コマとなった。

 市電の四条線は1972年に廃止されたが、南座は1996年に登録有形文化財に指定され、近年、耐震補強工事を実施して新開業している。同一場所で約400年間も歌舞伎興行を続けてきた「日本最古の劇場」といえる。

 四条通りをさらに東に進み、緩い坂をのぼると「祇園さん」の通称で親しまれている古刹「八坂神社」の西楼門が見えてくる。四条通りはここで東大路通りと合流する。四条線はこの祇園停留所が起点で、双方向に分岐する東大路通りには東山線が敷設されていた。

 碁盤の目のように道路が配置された古都を走る市電の運行は、循環系統がお家芸のように多用されていた。1系統(壬生車庫前~祇園~百万遍~千本今出川~壬生車庫前)を筆頭に4系統、6系統、7系統、8系統、11系統の六系統が循環系統だった。

 循環系統の始発地点では、営業所の操車係から見て右に進行する市電を「甲」と呼び、左に進行する市電を「乙」と呼んでいた。1系統を例にとると壬生車庫を右手に出て、祇園方向に進む市電が1系統甲。左手に出て、千本今出川方向に進む市電が1系統乙になる。地元在住の畏友から伺ったエピソードだ。

 世界にはトラムを観光に活用する都市は多い。美しい町並みを見ながらゆっくり移動できるのは、暗闇を走り抜く地下鉄と違って、観光都市の「粋」でもある。1978年に市電を全廃させたのは、人と環境にやさしい観点からも惜しまれる。こうして当時を振り返り、「もしも今、京都に路面電車があったら」と思うだけで、なんだか心が躍る。

■撮影:1975年11月22日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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