■コダクロームIIで写した京都
京都市電は1978年まで残存していたので、鮮明な画像と優れた粒状性の外式現像処理カラーリバーサルフィルム「コダック・コダクロームII」で撮影することができた。
冒頭のカラー作品は西大路線・西大路三条付近で、12系統(四条河原町~西大路四条)の市電1600型が、ポール集電時代の京福電鉄/嵐山本線の電車と平面交差するシーンを狙った。撮影したコダクロームIIは常温保存で44年経つが、退色が殆ど認められない優秀なフィルムだ。
この1600型は戦前の名車600型のワンマン化改造車で、外部塗装に赤帯が追加された。また、正面中央にワンマン表示が付き、前灯も二灯化されている。いっぽうの京福電鉄/嵐山本線・北野線は日本で最後となったホイール式ポール集電で、1975年12月に集電装置をZパンタグラフに変更された。
■四条河原町交差点はホットコーナー
筆者が京都市電の撮影を始めたのは1964年だった。当時、総営業距離68772m/19運転系統/総旅客車340両を擁する京都の市電は、国内第4位の大規模な都市路面電車で、来訪者(よそもの)が一朝一夕で全容を撮影することは困難だった。市電の路線は全線複線で、軌間は1435mm、電車線電圧は600Vだった。
最初に市電と対峙したのは四条河原町の交差点だった。河原町交差点は東京の須田町交差点に匹敵する「市電最大のホットコーナー」だった。東西方向の四条線の四系統に、南北方向の河原町線の六系統を加えた十の系統がここで交差発着していた。全19系統のうち5割を超す系統がこの交差点でウオッチできる勘定だ。
早朝の時間帯に四条河原町の交差点で四条線を走る17・7系統の急行が行き交うシーンを撮影した。次々にやってくる市電が視界に入り、フィルムの消費がぐんと上がる。エトランゼの筆者は「急」の丸板を掲げた市電群に心弾ませた。
京都市電は1962年3月から「急行運転」を実施していた。平日の朝7時から9時までの間、全電車が約1/3の停留所を通過することになった。これは目的地に迅速に着く急行運転ではなく、ラッシュ時に停留所を間引き、運転経費を節約する合理化運転だったようだ。
数年前になるが、四条河原町交差点で「祇園祭・山鉾巡行」を撮影する機会に恵まれた。伝統の山鉾が交差点内で方向転向する雅な光景は京都でしか体験できないものだった。ふと交差点を凝視すると、半世紀前に対峙した京都市電のアフターイメージが湧いてきて、とても懐かしい思いに浸ることができた。