このままでは先は長くないと「百麺」も悟っていたのか、世田谷本店の譲渡の話が少しずつ進み始める。すると、今度は創業者である会長から、中山道店と中目黒店も含めてすべて譲りたいという話が来る。この2店は赤字状態が続いていたが、どちらも宮田さんが立ち上げから関わってきたお店だった。先はまったく見えなかったが、思い入れも強く、自らの手で立て直そうと決心する。こうして07年8月、宮田さんは「百麺」を譲り受けた。
「誠屋」での成功事例を横展開しながら、お店を立て直していく。店に泊まりこみでスープも徹底的に修正していった。売り上げも少しずつ安定し始め、「百麺」は復活を遂げた。数多くのラーメン店を見てきたが、このような歴史を遂げたお店は大変珍しい。宮田さんの古巣への愛がなければ、今ごろどうなっていただろうか。
「金色不如帰」の山本さんは、宮田さんをラーメン職人として高く評価している。
「家系が流行るずいぶん前からトレンドを察知していたのは、さすがの一言です。かなりの老舗ですが、今だに根強いファンが多く、他の豚骨醤油とは一線を画す味の構成には貫禄を感じます。宮田さんはアルバイトから社員になり、一度離れて独立してから古巣を譲り受けた。すごい歴史ですよね。誇りを持ってラーメンを作る宮田さんの、大きな人間性が詰まった一杯になっていると思います」(山本さん)
宮田さんは山本さんのことを「孤高の職人」と評する。
「こいつがミシュランを獲らなくて誰が獲るんだ、と思っていました。自分なりの理屈や筋をしっかり持っていて、ちゃんと答えを出す。食材への追求や味のこだわりはまったく敵う気がしません。すごい人です」(宮田さん)
ラーメン店主としての二人の歴史を追ってみると、店主にもいろんな形があることが見て取れる。しかし、おおもとにある思いは旨いラーメンを作ること。それぞれの方向で日本のラーメンを盛り上げていってくれるに違いない。(ラーメンライター・井手隊長)
○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて18年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。
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