退職して1年間はバンド活動に明け暮れていたが、なかなか芽が出ない。本格的に働かなければ食べていけない状態になったこともあり、自分にできることを考えたとき、頭に浮かんだのはラーメンしかなかった。
独立して、古巣の「百麺」をあっと言わせるお店を作りたいと決意したが、資金がないため店を出すことができない。まずはスポンサーが必要だと、ラーメン店の社長をしている知人に相談した。すると、出店予定の新店を任せてもらえることになった。杉並区の八幡山に見つけた物件で、「自由にやってみなさい」と背中を押された。だが、事はうまく運ばなかった。
「社長から、急きょ『お金が用意できなくなってしまった』と言われたんです。でも、もう後戻りはできなかった。両親が老後のために残していたお金を援助してもらい、何とか契約にこぎつけました」(宮田さん)
こうして04年2月、宮田さんのお店「誠屋」がようやくオープンした。
従業員は、「百麺」時代の仲間を含めた3人。それ以外にも、「百麺」の従業員たちが代わる代わる応援に来てくれた。常時3人いないと回らない状態だったため、「百麺」のスタッフたちに支えられたが、後で聞いたら、それぞれの休みの日に手伝いに来てくれていたのだという。
「本当にありがたかったです。『百麺』を見返してやろうという気で開店したのに、こちらが助けられてしまいましたね。泣くほどうれしかったです」(宮田さん)
スープは「百麺」のものをさらに改良した濃厚な豚骨醤油。売り上げは快調で、従業員も増えた。05年には大森店、06年には高円寺店(現在は閉店)、10年には池尻店もオープンした。「誠屋」のラーメンは豚骨スープを大量に炊くため損益分岐が高くなるが、店を増やして安定した数を出すことで売り上げも整ってきたという。
店がうまくいく一方で、宮田さんには気がかりなこともあった。古巣である「百麺」の存在だ。たまに様子を見に行っては「百麺」のラーメンを食べていたが、どうもかつてのような活気がない。
「味にしても活気にしても、衰退していく空気感が漂っていたんです。良い店でお客さんもいるはずなのに、もったいない。いてもたってもいられず、社長に『世田谷の本店を俺に譲ってくれないか』とお願いしました」(宮田さん)