「ニャオペを使用する住民は確実に増えている。最近では月に2、3回は過剰摂取による死亡事故を耳にする。中毒になって仕事をしなくなり、ニャオペを買うカネのために強盗や窃盗をする者も珍しくない」
こうした話はヨハネスブルクのあちこちで聞かれる。しかしニャオペの取材を開始して最大の障害となったのが、乱用者の正確な統計が存在しないことだ。乱用者数は数十万とも数百万ともいわれ、非常に曖昧。統計をとるためのガイドラインが整備されていないことも一因だが、ニャオペがさまざまな薬物の混合物であるのも大きな理由とされる。死亡事故が起きても、それがニャオペによるものか、他の麻薬によるものか断定が難しく、統計に反映されづらいのだ。
とはいえニャオペ汚染は、近年の南アフリカが直面している最大の社会問題のひとつであることは間違いない。政府はこの薬物との戦いを「戦争(War)」と表現。ひとつの目安として、ソウェトにあるクリス・ハニ・バラグワナス病院は、2014年から2017年2月までにニャオペが原因で心不全を起こしたと思われる患者を68名診察したと報告している(うち10名が死亡)。この傾向が全国の病院に適用できるならば、ニャオペ汚染は確かに深刻な規模だろう。
乱用の実態をより詳しく調べるため、2019年4月のある夜、マドンセラ氏の自警団のパトロールに同行した。
午後7時、ソウェト最大の繁華街といわれるバラ・モール周辺でパトロールは始まった。日中は多くの人が行き交い、喧騒が絶えないエリアだが、日没とともに人影はまばらになる。ソウェトを擁するヨハネスブルクはかつて「世界一危険な都市」と呼ばれ、2010年のサッカーW杯の際には安全の問題からNHKと在京民放キー局が女性アナウンサーの派遣を見送ったほどだ。現在の治安は比較的改善されてはいるが、それでも犯罪率は低くない。「絶対にグループから離れるな」とマドンセラ氏に念を押された。