耳の聞こえない人に話しかけて、聞こえないことがわかればそうかと納得するのに、時間管理ができない人に締め切りを守れと言って「できないんです」と言われたら、態度が悪いと怒ってしまうのはなぜでしょう。それは、心がけ次第で耳が聞こえるようになることはないけれど、心がけが悪くて締め切りを破る人はたくさんいると考えるからです。大抵の人には、夏休みの宿題を先延ばしにして最終日に半泣きでやった経験が一度ならずともあるはずです。だから時間を守れないのはよくあることで、自分は、間に合わない人がどうして間に合わなくなるかを「知っている」と思ってしまうのです。聞こえない人に「なぜ聞こうとしないのですか」と尋ねないのは、聞こえないということは「特別なこと」で、自分の心がけが足りないせいで音が聞こえなくなった経験もないからでしょう。
ADHDの難しいところは、自分でもこの困りごとは障害ゆえなのかそれとも他のことが理由なのか、はっきりとわからないことです。意志が弱いと言われればそうなのか、と思うし、機能障害ですと言われればそうなんだ、と思う。脳みそのことを脳みそが客観的に眺めるのは難しいので、これが意志なのか機能なのかを判じかねる(というか意志を持つこと自体が脳の機能なんじゃないかと思うんですが、と考えることもまた脳の機能ですよね、って言ってる意識もまた、以下略)。
身体の他の部位は客観的に見ることができるけれど、脳みそは主観の塊です。脳は脳の外側に出られない。ADHDは検査して数値で測れるものでもないし、レントゲンに撮って「ほら、ここです」と言えるものでもない。だから本人も「これは機能障害によるものです、こっちは違います」なんて説明できないのです。