まもなく21世紀を迎えようという頃から、光石のもとには徐々に仕事が入りだす。それが一気に増え始めるのは2005年からだ。その翌年に公開された出演映画は実に15本を数え、翌年も翌々年も同様だった。

 03年から、光石のマネジャーについた野口淳一が振り返る。

「とにかくどんどん仕事を入れてくれ、という感じでした。食べられない時代のことがあって、2日仕事があいたら不安でしようがないと。だから、映画やドラマを縫うようにして1日に3本とか入れることもありました」

 同時に9本もの台本を持っていたという同じ事務所の小林稔侍に負けまいと、野口は、積極的に営業をかけた。その結果、多いときには、光石もまた7本もの台本を抱えることになった。もっとも、裏を返せば、脇役だからこそ、それだけの仕事が入れられるということでもあった。主役であれば、映画だけで年に15本も入れられるはずもない。

 そんな中、11年には「あぜ道のダンディ」(監督・石井裕也)で、主演も経験した。しかし、光石は、「主演といっても家族の話でたまたまお父さんの名前が一番最初に来ているだけだと思ってました」と冷静に振り返る。その後も「共喰い」(13年、監督・青山真治)のような重厚な作品で狂気の父親を演じたりしながら、バイプレーヤーとして演技に磨きをかけていった。

 事務所の國實が言う。

「光石は絶対に東宝映画にかかるような主役にはならないわけじゃないですか。あるいは明らかに緒形拳とも違うわけです。よく俳優には定年がないと言われますが、私は主役級の人には確実にあると思います。でも、笠智衆さんではないですが、光石のような脇の人はその都度の年齢に合わせて役ができるし、年齢年齢で味を出していけるんです」

 光石自身は、バイプレーヤーと称されることに対して、こんなふうに思っている。

「バイプレーヤーって、二枚目俳優以外のことを言う便利な言い方なんじゃないですか。あくまでも人様が呼んでくださることで、自分としてはなんと言われようがいい、というぐらいの感じです」

●他の俳優にも嫉妬する まだまだ達していない

 17年、そんなバイプレーヤーをメインにすえた番組が制作された。「バイプレイヤーズ~もしも6人の名脇役がシェアハウスで暮らしたら~」(テレビ東京系)だ。光石のほか、遠藤憲一、大杉漣、田口トモロヲ、寺島進、松重豊の5人の脇役たちに光を当てた連続ドラマだった。20年近く前、皆で集まったときに「6人で何かやれたらいいね」と話していた企画が実現したものだった。長きにわたって脇の道を歩んできた6人の役者人生が投影されたこのドラマは、“脇役の妙味”を再認識させるものとなった。

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