光石は、自身の演技をこう突き放す。

「個性を消しているわけじゃなく、僕には本当に個性がないんです。それを逆手にとって、『個性なき個性』なんて言っているだけなんです。数年前に、福島のロケで『こんなに長靴が似合う人はいない。本物みたい』と人から言われて、『長靴をはいて褒められるのは役者じゃない。長靴をはいてても役者は役者のオーラを放たないと』って言い返したんですけど、本当は嬉しかった。僕はオーラのないほうで頑張る、ってひそかに思ってましたから」

 その「個性なき個性」こそが見る側にリアリティを感じさせもするのだろう。

 浮沈にあえぎながらも40年間にわたってひたすら愚直に演技と向き合い続けてきたバイプレーヤーはいま、新たな円熟の域に踏み込みつつあった。

 光石研の俳優デビューは鮮烈だった。

 作品は、「博多っ子純情」(松竹系、1978年公開、監督・曽根中生)。博多を舞台にした少年から青年への成長物語、青春群像劇だ。

 友だちに誘われ、博多でのオーディションに参加した高校2年生の光石は、3回のテストを経て見事主役を射止めた。映画は夏休みを費やして撮られた。

 北九州・八幡の中学時代の同級生で、光石に誘われ同映画にエキストラとして出演した平尾隆志(57)が振り返る。

「光石は、昔からモノマネがうまくて、北九州のおばちゃんの真似とか言って、クラスで笑いをとっていた。中3の文化祭の劇では、2人で探偵役をやったんですが、それを見ていた国語の女の先生からは『光石君、あんた役者になりなさい』と言われてました」

 撮影現場で、光石がプロの役者の役をふざけて真似ていると、監督の曽根から「お前のほうが上手いな」と言われたぐらい溶け込んでいた。

「セリフ覚えで苦労した記憶もまったくないし、お父さん役の小池朝雄さんや大人たちとの撮影がただただ新鮮で楽しかった」

 高校を卒業した光石は、大学への進学を条件に、親から上京を許される。が、もちろん、青年の頭の中にあったのは、映画の世界に再び身を置くことだった。

●現場で怒られ続けた20代 「おしゃれ小鉢」と呼ばれた

 松竹のプロデューサーや監督を訪ね回って機会をさがす光石に最初に舞い込んできたのは、「男はつらいよ」(監督・山田洋次)だった。シリーズ25作目「寅次郎ハイビスカスの花」と26作目の「寅次郎かもめ歌」。いずれもアベック役、生徒役という名のセリフもない端役だったが、青年はさっそく山田の洗礼を受ける。

暮らしとモノ班 for promotion
「更年期退職」が社会問題に。快適に過ごすためのフェムテックグッズ
次のページ
『博多っ子』とはまるで違う現場