妻の働きだけでは生活ができなくなった光石は、ついに事務所に借金をせざるを得なくなる。屈辱だったが、ほかに手立てはなかった。数十万単位で幾度となく借り続けた結果、その額は数百万にまでふくれあがり、やがて止められた。

 一方、世の中では、バブル経済が崩壊し、さまざまな価値観が崩壊し始めていた。映画界でも、巨匠たちに代わって低予算でも撮れる20代、30代の若手監督が台頭してくる。

 若手監督たちは、光石とほぼ同世代の人々で、彼らが巻き起こしたニューウェーブは、光明となった。出演の機会が巡ってくるのである。

 岩井俊二が監督した「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」「Love Letter」などに出演したのちの96年、光石は大きな転機を迎える。監督・青山真治の初長編映画「Helpless」で準主役に抜擢されるのだ。仮出所したヤクザの役で、凄みある荒くれ者をリアルに演じきり、高い評価を受けた。

 さらには、ハリウッド映画のオーディションを受け、「ピーター・グリーナウェイの枕草子」「シン・レッド・ライン」に挑戦したことで、また光石は新たな刺激を得た。

「最初は何がハリウッドだと突っ張っていたんです。現場はすごい物量とスケールで、素晴らしいケータリングが来ても、こんなのはロケ弁でいいんだよなんて言って。ニック・ノルティとかが歩いていて、おー、と思っても見て見ぬふりをしたり。でも、そこで逆に、自分ひとり尖っていても仕方ない、何も変えられないぞ、と気づくんです」

●振り出し以下に戻ると決意 出演映画数が年15本にも

 華々しくデビューした「博多っ子純情」からおよそ20年、光石は、遠回りをしながらも、ようやく役者の本質へと辿り着こうとしていた。

「この頃から、『寅さん』でやった悪目立ちのようなことは一切やめよう、とにかく台本に書かれたこと、要求されたことを忠実にやる。目立たないように、映画の歯車になることこそが美徳と思うようになるんです。岩井さんや青山さん、ピーター・グリーナウェイといった才能ある監督の現場を経験したのが大きかった。本当は、相米さんや曽根さんの現場で学んでなきゃいけないのに、そんな年になって初めて気づいたんですね」

 この頃、光石は、「初心に、振り出しに戻る、いや、振り出し以下に戻るという思いで」愛車を処分し、より家賃の安い都内のワンルームマンションへと移り住んでいる。こののち10年にわたって光石はクルマのない生活を続けた。

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