■夜行バスで移動 熟睡はできない

 30年前と同じように夜行バスでハートヤイまで南下した。車内は冷房が利き、座席はリクライニング。僕の座席は壊れていたが、椅子にはマッサージ機能までついていた。しかし夜行バスである。熟睡というわけにはいかない。重い体を、タイとマレーシア国境行きの乗り合いバンに乗せる。この先のバスや乗り合いタクシーを思うと気が重くなる。やはりこの旅はきつい。

この体勢でバンコクからハートヤイへ15時間。きつい(左)、バスに乗りながらスマホで航空券を買える時代になった(撮影/阿部稔哉)
この体勢でバンコクからハートヤイへ15時間。きつい(左)、バスに乗りながらスマホで航空券を買える時代になった(撮影/阿部稔哉)

 降ろされたのは、一見、車専用に見える国境ゲートの前だった。

「あの……歩きなんですけど」

「歩き? あの隅のゲート」

 そこには数人のマレーシア人が列をつくっていた。入国審査を終えた彼らは、外に止めてあったバイクに乗ると、すぐに消えてしまった。徒歩で越境する人などもうほとんどいないのだ。炎天下の道をとぼとぼ歩きながら、30年という年月をかみしめていた。昔は荷物を背負った人たちが越える国境だったのだが。

 かつてはここから乗り合いタクシーでペナンに向かったが、もうそれもなかった。教えられたのはパダン・ベサール駅。やってきた列車を、「ほーッ」と見あげてしまった。電車だったのだ。ここからペナン島へのフェリーが出るバターワースまで電化されていた。電車の本数も多い。

マレーシアの国境ゲートをくぐる。いつの間にか車優先国境になっていた(撮影/阿部稔哉)
マレーシアの国境ゲートをくぐる。いつの間にか車優先国境になっていた(撮影/阿部稔哉)

 ペナンで1泊した。スリウィジャヤ航空というインドネシアのLCCでスマトラ島のメダンに飛んだ。

「10万ルピア……」

 空港からメダン市内に向かう列車の運賃に戸惑った。約730円。30年前の記録と見比べてみる。ざっくりいうと物価は10倍にあがっていた。ところがインドネシア・ルピアの価値が10分の1にさがっていた。それだけ日本円が強くなったということか。しかし10万ルピアは高い。乗り合いタクシーの運転手が声をかけてきた。

「8万ルピアでトバ湖まで行くよ」

 以前はメダン市内から、ぎゅうぎゅう詰めのバスに10時間も揺られ、ぼろ雑巾のようになってトバ湖に着いた。いまは乗り合いとはいえ、タクシーで3時間後にはトバ湖だという。以前とは少しルートが違うが安さ優先で手を打った。実際は高速料金などが加算され、乗り合いタクシー代は10万ルピアになったが。

ペナン島へのフェリーの船内。運賃は32円(撮影/阿部稔哉)
ペナン島へのフェリーの船内。運賃は32円(撮影/阿部稔哉)

 簡単に着いてしまったトバ湖から迷走がはじまった。泊まった宿でブキティンギまで行く方法を聞いてみた。その道の途中で赤道を通過する。

「バス? ありません。みんなメダンに出て、そこからLCCでパダンへ行きます。ブキティンギはパダンのそばですから」

「あの……そのメダンからきたんですけど」

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バスは2泊3日、乗りっぱなし