30年前と同じように夜行バスでハートヤイまで南下した。車内は冷房が利き、座席はリクライニング。僕の座席は壊れていたが、椅子にはマッサージ機能までついていた。しかし夜行バスである。熟睡というわけにはいかない。重い体を、タイとマレーシア国境行きの乗り合いバンに乗せる。この先のバスや乗り合いタクシーを思うと気が重くなる。やはりこの旅はきつい。
降ろされたのは、一見、車専用に見える国境ゲートの前だった。
「あの……歩きなんですけど」
「歩き? あの隅のゲート」
そこには数人のマレーシア人が列をつくっていた。入国審査を終えた彼らは、外に止めてあったバイクに乗ると、すぐに消えてしまった。徒歩で越境する人などもうほとんどいないのだ。炎天下の道をとぼとぼ歩きながら、30年という年月をかみしめていた。昔は荷物を背負った人たちが越える国境だったのだが。
かつてはここから乗り合いタクシーでペナンに向かったが、もうそれもなかった。教えられたのはパダン・ベサール駅。やってきた列車を、「ほーッ」と見あげてしまった。電車だったのだ。ここからペナン島へのフェリーが出るバターワースまで電化されていた。電車の本数も多い。
ペナンで1泊した。スリウィジャヤ航空というインドネシアのLCCでスマトラ島のメダンに飛んだ。
「10万ルピア……」
空港からメダン市内に向かう列車の運賃に戸惑った。約730円。30年前の記録と見比べてみる。ざっくりいうと物価は10倍にあがっていた。ところがインドネシア・ルピアの価値が10分の1にさがっていた。それだけ日本円が強くなったということか。しかし10万ルピアは高い。乗り合いタクシーの運転手が声をかけてきた。
「8万ルピアでトバ湖まで行くよ」
以前はメダン市内から、ぎゅうぎゅう詰めのバスに10時間も揺られ、ぼろ雑巾のようになってトバ湖に着いた。いまは乗り合いとはいえ、タクシーで3時間後にはトバ湖だという。以前とは少しルートが違うが安さ優先で手を打った。実際は高速料金などが加算され、乗り合いタクシー代は10万ルピアになったが。
簡単に着いてしまったトバ湖から迷走がはじまった。泊まった宿でブキティンギまで行く方法を聞いてみた。その道の途中で赤道を通過する。
「バス? ありません。みんなメダンに出て、そこからLCCでパダンへ行きます。ブキティンギはパダンのそばですから」
「あの……そのメダンからきたんですけど」