中華街の隣にあるバンコク中央駅(フアランポーン駅)。今回はバスで南下するので無縁(撮影/阿部稔哉)
中華街の隣にあるバンコク中央駅(フアランポーン駅)。今回はバスで南下するので無縁(撮影/阿部稔哉)
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 お金をかけずにどこまで世界を巡れるのか。30年前のバブル絶頂期に本誌で大人気だった連載『12万円の旅』シリーズが、帰ってきた。筆者で旅行作家の下川裕治さんは、いまや64歳。平成の終わりを目前にしたいま、同じコースで再び“貧乏旅”に挑戦する。第1回は赤道をめざし、タイやマレーシア、インドネシアを放浪する。

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 旅は悩みの連続だった。LCCと呼ばれる格安航空会社が、安い運賃で誘惑を仕かけてくる。ゆく先々で、陸路か空路か……心は左右に大きく揺れた。

『12万円で世界を歩く』(朝日新聞社)は1990年に刊行され、97年に文庫になった。88~89年に週刊朝日で連載したシリーズに加筆したものだ。

 総予算は12万円。帰国するまでの交通費や宿代、コーヒー1杯の飲食費まで含まれていた。どこまで行って帰ることができるのか。

「もし12万円で足りなかったら……」

 不安だった当時の僕やカメラマンは、編集部の人たちから「カメラでも売るんだな」と笑って見送られ、空港に向かったのだった。

成田空港から香港航空でバンコクへ。LCCではないので機内食は無料(撮影/阿部稔哉)
成田空港から香港航空でバンコクへ。LCCではないので機内食は無料(撮影/阿部稔哉)

 旅は「超」のつく貧乏旅行になった。現地では飛行機には乗れず、安宿を渡り歩く。その宿代すら節約するために夜行バスに乗った。当時の日本はバブル経済のまっただ中。周囲からは景気のいい話が聞こえてくるが、「修行僧のような旅ですね」といわれるほど、極貧旅に入り込んでしまった。

 あの旅をもう一度……。はたしていまも12万円で走破できるのか。そんな旅がはじまることになった。

 第1回では、インドネシアのスマトラ島の「赤道」を通過する。期間は2018年9~10月だ。

 30年前のルートをざっと紹介しておく。東京から安い飛行機でタイのバンコクへ。そこからバスや乗り合いタクシーなどで南下し、マレーシアのペナン島へ。飛行機でスマトラ島のメダンに渡り、一気に南下。赤道を越える。そこからバスでさらに南下してジャカルタ。飛行機でシンガポールに飛び、バスで北上してバンコクに戻る。

 このルートをたどるのだが……。

週刊朝日2019年3月15日号より
週刊朝日2019年3月15日号より

 コンピューター。30年前といまを比べたとき、このツールの登場はあまりに大きい。東京からバンコクの航空券は、いまでは旅行会社に頼る必要はない。検索サイトで最安値を掲げていたのは、LCCではなく香港航空だった。往復で3万2500円。30年前は6万9千円だった。

 ペナン島からメダンまでの航空券も、バンコクから南下するバスに乗りながらスマホで買った。30年前は約6072円だったが、いまは約3852円。これだけでもう3万8700円も浮いている。楽勝ムードでペナン島に渡ったのだった。

 しかし30年前のルートをなぞる旅。飛行機だけに頼るわけにもいかない。香港航空でバンコクに着いた僕は、中華街に向かった。その入り口に当時泊まった宿があったからだ。ジュライホテル、楽宮大旅社、そしてその少し後の台北旅社。この三つの宿は、日本人バックパッカーの巣窟だった。30年前、僕はジュライホテルに泊まった。1泊約510円の安宿である。その後、ジュライホテルと楽宮大旅社は廃業。台北旅社は新しいホテルに建て替えられた。

バンコクのジュライホテルの建物は廃虚として残る(撮影/阿部稔哉)
バンコクのジュライホテルの建物は廃虚として残る(撮影/阿部稔哉)

 あれは15年ほど前だろうか。タイ人の若いアーティストが、廃業したジュライホテルの1階と2階を使って個展を開いた。建物自体を作品にしていた。そこで描かれたのは、ドラッグに溺れる日本人旅行者の姿。バンコクの若者の目には、そう映っていたらしい。

 泊まった僕が断言するが、この界隈に「沈没」する日本人はそれほどひどくはなかった。確かにドラッグの副作用で被害妄想に陥る青年旅行者もいたが、ほとんどが日本社会に閉塞感を抱き、バンコクの安宿でだらだらしているタイプだった。旅行者の目には、バブルに浮かれる日本社会は妖怪のように映っていた気がする。多くの人が純粋で繊細だった。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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やはりこの旅はきつい