![現在の水道橋駅付近。当時の写真のように俯瞰ではないが、東京歯科大学の校舎など、変化の様子がわかる(撮影/井上和典・AERAdot編集部)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/5/a/840mw/img_5adbc6af892d4b71d970865bd99ccbf1128440.jpg)
後楽園球場は1937年の竣工。後楽園をフランチャイズにした「読売巨人軍」のスター選手の活躍もあって、プロ野球隆盛期には「プロ野球のメッカ」とも呼ばれた。
撮影日のスコアボードの裏面には3月20日に予定されるオープン戦のプログラムが掲示されている。変則ダブルヘッダーが組まれているのだろうか「巨人対東京(東京オリオンズ。現・千葉ロッテマリーンズ)」「巨人対東映(東映フライヤーズ。現・日本ハムファイターズ)」の文字が判読できる。「東京」や「東映」のチーム名にも時代の経緯を感じてしまう。
当時、読売巨人軍は「V9」時代の真っ只中であった。説明するまでもないが、V9時代とは読売巨人軍が1965年から1973年まで、9年連続してセ・リーグで優勝し、「日本シリーズ」も制覇したという前人未到の黄金時代のことだ。「巨人・大鵬・卵焼き」というフレーズが流行った時代でもあり、まさしく昭和に彩りを加えたのが後楽園球場でもあった。
余談であるが、撮影前年の1967年は巨人V3のシーズンで、日本シリーズは阪急に4勝2敗で勝利している。都電が後楽園球場脇から消えた1968年は巨人V4のシーズンにあたり、日本シリーズでは前年と同じ阪急を4勝2敗で退けて、栄冠を勝ち取っている。
華やかなプロ野球の舞台となった後楽園球場は、1970年代に電光式スコアボードの採用、日本で初めての人工芝導入などリニューアルされたが、近接地に日本最初のドーム球場である「東京ドーム」が竣工すると、その役目を終えて1987年のシーズン終了後に閉鎖・解体された。
■撮影:1968年3月12日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。
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