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 人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子さんの連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、「エジプトの砂嵐」について。

*  *  *

 頭が重くて目が覚めた。痛いのではない。周りからうつうつとしたものが押し寄せてくる。カーテンを開けて驚いた。窓の外がぼんやりと曇っている。

 一九七七年春から秋にかけて半年間、エジプトのカイロに滞在した。つれあいが中東特派員になって支局を開いたのを機に、半年間同居させてもらったのだ。

 その間、朝から日が射していない日は、ほぼなかった。とはいえ、透き通るような青空はほとんどない。

 薄ぼんやりした、はっきりしない淡い青だ。砂漠地帯は雨はほぼ降らないが、大サハラ砂漠が控えているので、砂の色がまざってしまうのだろう。

 日本から来たカメラマンが嘆いていた。「砂漠に沈む夕日を撮ろうと思って待ち構えていたが、常に地平線のあたりがかすんでくっきりした夕日が見られない」

 それにしても、この暗さは何だ。いつもとは違う。目を凝らすと、ギザの三大ピラミッドのある方向の彼方の空が黒ずんでいる。黒っぽい雲の塊のようなものが浮かんでいて、少しずつ地中海側に移動してくる。私の住んでいるカイロの街めざして近寄ってくる。

「あれは何?」

 メイドのナジーラが、窓や玄関に隙間のないように目張りをしている。私が起きて窓を開けようとするとナジーラに叱られた。

「窓は閉めて!」

 開けると外の空気、いや熱気が入り込むから閉めておく方が涼しいのだ。空気が乾燥しているから、冷房がなくても外気を遮断して日の陰にいれば十分過ごせる。

 いったん炎天下の空気が入り込むとたいへんなことになる。それにしても目張りまでするとは?

「レー?(なぜというアラビア語)」

 覚えたての言葉できいてみる。

「ハムシーン!」

 ナジーラの言葉にこれが名高いハムシーン(アラビア語で50の意)。春、50日間のどこかで吹き荒れる砂嵐だ。ついに来た。サハラ砂漠の方から一陣の風に乗った魔神が今、まさに私の目の前に!と思う間もなく、辺りが薄茶色に染まっていく。

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下重暁子

下重暁子

下重暁子(しもじゅう・あきこ)/作家。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、NHKに入局。民放キャスターを経て、文筆活動に入る。この連載に加筆した『死は最後で最大のときめき』(朝日新書)が発売中

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