そして、横浜が7対3とリードして迎えた9回裏、セーブがつかない場面ながら、「ピッチャー・クルーン」のアナウンスとともに電光掲示板に「速球王クルーン!参上!!」の文字が躍り、登場曲、ダディ・ヤンキーの『ガソリーナ』が流れるなか、クルーンが颯爽とマウンドに上がる。地元・ベイスターズファンで埋まったスタンドは一気に盛り上がり、立ち上がって拍手を送る夫人と10歳ぐらいの男の子の姿も遠目に見えた(クルーンには2人の男児がいる)。

 先頭の小田智之を三振に打ち取ったクルーンは、森本稀哲に四球を許したものの、古城茂幸、坪井智哉を連続三振に切って取り、ゲームセット。160キロは取材同様、翌日以降に持ち越されたが、取ったアウトはすべて三振の快投を目の当たりにできたことに、とりあえず満足した。

 翌日の取材で、クルーンは「僕の仕事は速い球を投げることではなく、バッターをアウトに打ち取ること。こっちのほうがもっと大事だからね」と前置きしながらも、「応援してくれるファンの期待に応えられるよう、ぜひとも160キロを実現するつもりだ」と決意を新たにした。

 雑誌の企画は、ロッテのサブマリン・渡辺俊介と原寸大の手のひらを比較するというものだったが、クルーンの手は渡辺の手より小さく、「この手で160キロ近い速球を投げるのか」と正直驚かされた。

 その後もクルーンは9度にわたって159キロをマークしながら、足踏みが続いていたが、7月19日の阪神戦で、ついに夢が現実のものとなる。

 1対1の延長12回、3番手として登板したクルーンは、藤本敦士を遊ゴロに打ち取ったあと、林威助に四球を許し、1死一塁、次打者・赤星憲広のカウント2-2からの6球目、外角低めにシュート回転して入ってきた球を赤星がファウルした直後、甲子園のスコアボードに「161」が表示され、スタンドから「ウオーッ!」という凄まじい大歓声が起きた。さらに2死後、鳥谷敬への初球、外角低めストレートも160キロを計測。2球ともファウルながら、NPB史上初の160キロ台が実現した。

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