“伝説の扉”を開いたマーク・クルーン
“伝説の扉”を開いたマーク・クルーン
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 1970年代後半にスピードガンが日本に伝わって以来、野球ファンは「誰が“夢の160キロ”を達成するか?」と注目しつづけていた。そして、今から20年前の2005年、NPB史上初の160キロ超えが実現された。“伝説の扉”を初めて開いた男の名は、マーク・クルーンである。

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 NPBの最速記録は、1979年に中日・小松辰雄が152キロをマークすると、84年に巨人・槙原寛己が155キロ、85年に西武・郭泰源が156キロ、90年に中日・与田剛が157キロを計測。93年にはロッテ・伊良部秀輝が158キロをマークし、“大台”まであと2キロとしたが、その後は158キロを超える投手が現れないまま、12年の月日が流れていた。

 そして、05年、マイナーリーグ時代に最速101マイル(約163キロ)を記録しながら、メジャー通算0勝2敗、防御率7.76と、海の向こうでは鳴かず飛ばずだった男が、NPBの歴史を大きく変える。

 年俸40万ドル(当時のレートで約4120万円)で横浜に入団したクルーンは、4月2日の中日戦で4番手のリリーフとしてデビューすると、5月11日の楽天戦でNPB史上最速の159キロをマーク。大台まであと1キロと迫った。

 以来、ファンはクルーンが投げるたびに「160キロが出るか」と注目し、筆者も6月9日の日本ハム戦の試合前に、雑誌の取材で“時の人”と対面することになった。

 ところが、取材直前に打撃練習のファウル打球がスタンドにいたクルーンの息子に当たり、病院に搬送されたことから、まさかのドタキャンに……。アクシデントの直後、血相を変えてベンチから飛び出してきたクルーンのユニホームの袖が筆者の右肘をかすめていったシーンを今も覚えている。

 取材は翌日に延期され、球団広報からお詫びがてら「今日の試合を見ていってください」と内野席券をプレゼントされた。クルーンが登板するのは8回か9回なので、それまでには球場に戻ってくるはず。「ひょっとしたら、160キロが出る歴史的瞬間を生で見られるかも」と期待に胸を膨らませた。

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