
それに、31歳になった今、もう一度肘を痛めれば、投手人生そのものをあきらめる選択も迫られる。大谷自身がそれを一番よく理解しているはずだ。本人も決められたイニングをこなすことに集中していると語っており、無理はしていない。オールスターゲーム前日に行われるホームラン競争を辞退したのも、肉体的な負担を考えたら賢明な選択だ。
二刀流劇場、再び
アメリカのスポーツ界には、ときに、競技の枠を超えて文化や社会に影響を及ぼす“アイコン”が現れる。
彼らは、人々の想像を超える活躍を見せる。ただ勝つのではない。ときに劇的で、美しく、とても現実とは思えない方法で勝利をつかむ。
マイケル・ジョーダンがそうだった。引退後に復帰し、再びNBAを3連覇したように。
大谷にも、その可能性がある。現代野球で「不可能」とされた二刀流を体現し、WBCでは日本を劇的な優勝に導いた。21年以降、毎年のように「これが限界だ」と言われながらも、翌年にはそれを軽々と超えてみせた。まるで、フィクションを現実にしていくかのように。
尽きることのない向上心。そして、野球にすべてを捧げるような集中力と勝利への執念。その姿勢は、まさにジョーダンと重なる。
大谷にとって、最後に残された「舞台」は、ポストシーズンでの二刀流だ。手術明けの投手・大谷が、10月のワールドシリーズでマウンドに立つ姿を想像するだけで、胸が高鳴る。
再び幕を開けた、大谷翔平の「二刀流劇場」。この物語の続きは、誰にも想像できない。
(在米ジャーナリスト・志村朋哉)
※AERA 2025年7月21日号より抜粋
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