
ヤンキース時代の2020年にア・リーグ本塁打王(22本塁打)に輝いたパワーヒッター、ルーク・ボイトが楽天に入団した。メジャーで本塁打王を獲得した選手がNPBでプレーするのは、ボイトで7人目。過去に来日したMLB本塁打王6人を振り返ってみよう。
【写真】打撃タイトルを総なめにした「史上最強の助っ人」がこの人
第1号は、1962年に中日でプレーしたラリー・ドビーだ。
47年にインディアンスに入団し、黒人選手ではア・リーグ初の大リーガー(MLB史上2人目)となったドビーは、52年と54年に本塁打王(いずれも32本塁打)を手にし、54年には打点王も獲得した。
60年に3Aで9試合出場したのを最後に現役引退。その後、ニュージャージーで酒類の小売店とバーを経営していたが、元本塁打王の実績を買った中日から誘われると、NPBでプレーする大リーガーのパイオニア的存在を目指し、MLB通算149勝のドン・ニューカム(中日では打者転向)とともに入団した。
38歳という年齢や約2年のブランクから打率.225、10本塁打と十分期待に応えることができなかったが、同年、2人の加入に刺激を受けた4番・江藤慎一が打率.323で首位打者を獲得したのは、“ドビー効果”と言えるかもしれない。
ドビーに続く第2号は、74年に太平洋(現西武)に入団したフランク・ハワードだ。
レンジャーズ時代の68年と70年に2度の本塁打王(いずれも44本塁打)に輝き、通算382本塁打。来日時は37歳ながら、オープン戦で場外弾2発を含む3本塁打を放ち、“日米本塁打王”も期待された。
球団もハワード人気に便乗し、開幕前に「今シーズン、ハワード選手は何本ホームランを打つか?」というクイズを出題したが、いざシーズンが始まると、皮肉な結果が待っていた。
4月6日の開幕戦(日本ハム戦)、ハワードは3打席目の三ゴロエラーで一塁に全力疾走した際に古傷の右膝を悪化させてしまい、戦列復帰できないまま、7月5日に現役引退する羽目に……。
日本での成績は2打数無安打1四球で、本塁打はゼロ。クイズの応募者の中に「0本」と答えた者が13人いたが、これを正解とすべきかどうか頭を悩ませた球団側は、1試合だけの出場だったことを理由に、応募者3347人全員を対象に抽選を行い、3組をグアム旅行に招待した。