
5月に巨人とソフトバンクの間で行われた秋広優人とリチャードの電撃トレードは、“ロマン砲同士のトレード”として話題を集めた。ロマン砲とは、長距離打者としての潜在能力がありながら、確実性に乏しく、まだ開花しきっていない将来の主砲候補や“未完の大砲”のまま終わった選手を指すことが多い。過去にロマン砲と呼ばれた男たちを振り返ってみよう。
【写真】この人も“ロマン砲”? 次の「おかわりくん」と期待されていたのがこの人
まず昭和の終わりから平成初めにかけて、ロマン砲と呼べそうな一人が、長嶋一茂だ。
立教大時代に父・茂雄氏の8本を超える通算11本塁打を記録し、1988年にドラフト1位でヤクルトに入団した“ミスター2世”は、オープン戦初打席で安打を放つなど、“持っている男”をアピール。開幕後も、4月27日の巨人戦でプロ8打席目にして、メジャー通算101勝のガリクソンの速球をバックスクリーンに運ぶ特大の1号を放ち、「プロ22打席目で初アーチの父を超えた」ともてはやされた。
だが、担当スカウトの片岡宏雄氏が「試合前のフリーバッティングだけで金取れるヤツやったで」と惚れ込んだメジャーリーガー顔負けのパワーも、いざ試合が始まると、さっぱり打てなかった。
現役時代にチームメイトだった小川淳司SDも、自著『ヤクルトスワローズ 勝てる必然 負ける理由』(さくら舎)の中で、集中力が長続きしない欠点を挙げ、「あいつが野球に打ち込む姿勢や考え方を変えていたら、すごい選手になったんじゃないかなと思っている」と回想している。
理解者だった関根潤三監督の退任後は、野村克也監督のID野球になじめず、コーチとの関係も悪化。93年からは父が監督を務める巨人でプレーしたが、肘の故障などもあり、実働7年の通算打率.210、18本塁打と素質開花することなく、96年限りでユニホームを脱いだ。
同期入団の福浦和也とともに「将来の主軸」と期待されながら、ロマン砲のまま終わったのが、ロッテ・立川隆史だ。
拓大紅陵2年の夏の甲子園準々決勝、池田戦で0対1の9回に起死回生の逆転2ランを放つなど、高校通算32本塁打を記録したスラッガーは、94年にドラフト2位で地元・ロッテへ。並外れたパワーと巧みなバットコントロールの剛柔両面を兼ね備えた逸材に、かつて“怪童”と呼ばれた中西太コーチも「昔、中西太っちゅうのがおったが、それよりすごいな」と目を見張った。