障害者医療が危ない

 このインディアンウェルズ大会のセンターコートと第2スタジアムには、車いす使用者のためのスロープやエレベーターが多数設置され、全てのコートの車いす専用の観客席には同伴者の席も完備している。車いす席からのコートの眺めは抜群に良く、その後ろには立ち見客が常に溢れる。

 ブッシュ大統領時代の1990年に制定された「障害を持つアメリカ人法」(ADA)によって、スポーツ施設やホテルなどで障害者のアクセスが確保されており、この大会の入り口付近にも、障害者専用の駐車場が設置されている。

「ADA」という言葉を大会ボランティア全員が普通に使っており、健常者が空いている障害者の専用席にうっかり座ると「はい、そこどいて」と厳しく追い払われていた。

 つまり、この会場内では、難病を抱えるタイネンさんでも、介助者さえいれば、車いすで自由に動けるわけなのだ。

 また米国では、2021年以降、ALSに罹患した場合、診断後5カ月間を待たずに即座に障害者年金の支給が始まる制度が整った。タイネンさんが今後働けなくなって無職になったとしても国が障害者と低所得者に提供する医療保険「メディケイド」で彼の医療費はカバーされるはずだ。

 だが5月11日に、共和党の下院議員たちがこの「障害者の命綱」であるメディケイドの財源を8800億ドルほど削減する法案を発表した。もしこの削減案が通れば全米人口の13%を占める約4250万人の障害者たちが十分な医療を受けられなくなる可能性がある。

 また、トランプ大統領は、今年1月にワシントンDC近郊で起きた飛行機と軍のヘリの衝突墜落事故を受けてこう言った。「連邦航空局は重度の知的障害者や精神疾患のある人間を積極的に採用していた」。あたかも同局のDEI(多様性、公平性、包括性)採用が事故に関係があるかのように批判し「特別なジーニアスな才能を持つ人がつくべき仕事なのに」とも発言した。

 ALS患者は米国に現在約3万人いる。タイネンさんは「家にこもるより大会の現場で皆と一緒に働きたい」と言い、自分が雇ったスタッフの力を借りてそれを実行した。

 車いす姿で社会に積極参加し、愛する仕事を続ける姿を、彼は体力と気力が続く限り世界中のプロテニス選手と観客たちに見せ続けていくだろう。

(在米ジャーナリスト・長野美穂)

AERA 2025年6月2日号

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