インディアンウェルズ大会の全コートに障害者専用席と同伴者の席が完備。大会ボランティアは法で定められた障害者の権利を熟知している(撮影:長野美穂)

 車いすに乗ったタイネンさんは2週間の大会中、窓のない狭いメディア・ディレクター室に毎日出勤してパソコンに向かって仕事をしていた。

 スタッフたちと協力しつつ駐車パスの手配、取材証の発行、煩雑なメールのやりとりもこなし、2週間後の最終日の優勝セレモニーの際には、紙吹雪が舞うセンターコートで、車いすに乗って満面の笑みを浮かべながら、スタッフたちに指示を出していた。

 そんな彼を見ていた多くの記者たちは涙を流していた。

 40代の彼には妻と3人の子どもがおり、一番下の娘はまだ13歳だ。妻と末娘もセンターコートで彼を見守っていた。

鋭いけどフェアな人柄

 筆者がタイネンさんと初めて会ったのは、十数年ほど前にこの大会を取材したいと申し込んだ時だった。当時、米国の経済新聞で記者として働いていた筆者に対し、タイネンさんは「君の経歴を調べたけど、テニス専門媒体の記者じゃなくて経済新聞の記者だよね? 何を取材したいわけ?」と開口一番鋭く言った。

「このプロテニス大会が地域にもたらす経済効果と、雇用のインパクトについて取材したい」と伝えると「そのトピックなら3日だけ取材を許す」と言ってくれた。その年以来、会見でテニス記者たちがサーブやドロップショットについて質問する中、セリーナ・ウィリアムズ選手に、あなたの試合の3階席のチケットを買うために年金を貯めている高齢者の客がいることを知っているか、大会駐車場で法定最低時給で雇われているメキシコ系の駐車係たちが、あなたの夜の試合が1分でも延びて残業代が出ることを望んでいることをどう思うか、と質問する筆者にも、タイネンさんは嫌な顔ひとつせず、駐車パスを発行してくれた。

 ESPNやAP通信のスポーツフォトグラファーたちがフェデラー選手の優勝セレモニーをセンターコートのネット前中央に陣取って撮影する中、ネット脇の端から筆者が撮影していると「遠慮せずもっと真ん中で写真を撮れ」と声をかけて最前列に入れてくれたのもタイネンさんだった。

 媒体の知名度によって対応を変えることはなく、データや大会のファクトについて質問すれば必ず答えをくれた。

 そんな彼は今年も「元気でやってるか?」と笑顔で声をかけてくれた。ひとりで歩き回ることはもうできず、声がくぐもって会話をするのも難しいが、彼の周囲には笑い声があり、ジョークが飛び交っている点は例年と同じだった。

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