しかし、21世紀に入ると、9・11テロ(2001年)をはじめ、アメリカやヨーロッパの大都市で、いわゆる原理主義者たちがテロを引き起こすようになった。「頻繁に」とまでは言わないが、この種のテロが「ありえないこと」ではなくなったのだ。オウム真理教によるテロは、21世紀型の政治・宗教的なテロの予兆のようなものだったことになる。さらに、2021年1月6日に起きた、トランプ支持者による議事堂襲撃事件を視野に入れたらどうか。この事件との関係で見れば、地下鉄サリン事件は、そのはるかな前触れのように見えてくる。サリンがばら撒かれた地点を見れば、オウムの主たるターゲットが「霞が関」であったことは明らかだからだ。

 1989年にベルリンの壁が崩壊して、事実上、冷戦が終わった。2年後にはソヴィエト連邦もなくなった。その頃、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を論じたテクストが広く読まれるようになった(*3)。おそらく、フクヤマが依拠していたのがヘーゲルの哲学であったこともあって、アレクサンドル・コジェーヴの古い著作、『ヘーゲル読解入門――『精神現象学』を読む』が、突然、再読された(*4)。コジェーヴは、ロシア出身の哲学者で、主にフランスで活動した。彼が1933年から39年にかけて、パリの高等研究実習院で行った講義には、20世紀後半に「フランス現代思想」を担うことになった多くの思想家・哲学者が――ラカンやバタイユやメルロ゠ポンティなどが――出席しており、彼らに絶大な影響を与えた。『ヘーゲル読解入門』は、この講義である。

 しかし、1990年代にこのテクストがあらためて思い起こされたときに主に読まれたのは、1930年代の講義の中では絶対に論じられてはいなかったはずの箇所だ。このテクストの第二版で付け加えられた「日本化についての註」が注目されたのだ(*5)。コジェーヴは、1959年に日本を訪問し、日本社会に強い印象を受ける。それまで彼は、人間が「動物化」するアメリカ的な生活様式に、歴史の終わりの姿を見ていた。しかし、日本を直接観察して、日本社会に、歴史の終わりのさらなる後の人間の様態が現れている、と思ったのだ。

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