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「トランプ現象」の読み解きでも評判の社会学者・大澤真幸氏の近著『西洋近代の罪──自由・平等・民主主義はこのまま敗北するのか』(朝日新書)。その論考をさらに進めて、1995年に起きたオウム真理教事件とトランプ現象の奇妙な共通点を探る特別公開版の後編。1995年の30年後に「現象が回帰」したように見えることは、何を意味するのか。共通点を探ることで、どのような「本質」が見えてくるのか。さらに論考を進める。(前編はこちら)

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「歴史の終わり」が言われていた頃

 トランプ現象は、オウム現象といかなる影響関係も、直接の因果関係もないのに、まるでその再来のような印象を与える。フロイトの用語を用いるならば、まるで「抑圧されたものの回帰」のように見えてしまう。

 無論、その全体像や社会的コンテクストには大きな違いがある。オウム真理教事件は、経済的にはかなり豊かではあっても、政治的にはさして存在感のない国のマイノリティが引き起こした犯罪的なテロである。かんたんに言えば世界の片隅で起きたことだ。それに対して、トランプは世界で最も影響力のある国の大統領だ。いわばグローバルな主流の中の主流であって、トランプの言動は、アメリカ人だけではなく、世界中の人々を翻弄(ほんろう)するインパクトをもつ。

 もっとも、次のことは念頭に置いてもよいかもしれない。オウム教団は、自分たちが迫害されているという妄想から、日本政府(やその背後にいると彼らが考えたCIAやアメリカ政府)と戦った。彼らは主観的には、政府を打倒する「革命」の一部として、テロを実行しているつもりなのだ。トランプとトランプ支持者はどうかというと、以前にも述べたように、彼らは政権の座にあるときでさえも――ということは現在も――、反体制運動のノリを維持している。彼らは客観的には主流であっても、主観的には、革命する異端である。

 いずれにせよ、30年前のオウム真理教事件は、小さな島国で起きたできごとで、日本人にとっては、戦後史・近代史に消えない足跡を残した大事件だが、グローバルに認知されるほどではない。ゆえに、まるで次のように見えてくるのだ。世界の片隅で起きたことが、30年後に、社会的な規模を圧倒的に――グローバルに――拡大した上で、世界の中心に再来した、と。これはただの偶然の類似か。「他人の空似」のようなものなのか。次に述べるような諸事実を考慮に入れれば、それ以上のものを見てもよいのではないか。

 オウムが地下鉄でサリンをばら撒いたとき、当時の人々は――日本人のみならず世界中の人々は――、これを空前絶後の事件であると考えた。宗教的な集団が、まさに宗教的な理由から、先進国の都市の真ん中で――「発展途上国」の紛争地帯ではなく治安のよい豊かな国の都市の中心で――、無差別テロを引き起こすなどということは、それ以前には、フィクションの中でしかありえないことと思われていたからだ。

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