1年目は9勝に終わった江川は、翌80年は16勝、81年は20勝と2年連続リーグ最多勝を記録し、球界のエースに君臨。掛布も79、82,84年と3度の本塁打王を獲得し、伝統の一戦でのライバル対決も、いやがうえにも盛り上がった。

 そんな宿命の対決を繰り返すうち、二人は「1球で勝負が決まってしまったら、面白くない」という点で考えが一致し、いつしか「最初はグー」ならぬ「初球はカーブ」という“暗黙のルール”が生まれる。

 勝負を長引かせてファンを楽しませるために、江川は初球にカーブを投げ、掛布は見送る。大抵の場合は、江川が3、4球目くらいに投げる直球で勝負が決まった。

「江川の最高のストレート、それを僕がベストなスイングで打つかどうか。江川が抑えるか、この一つの打席で試合自体も決まっていくと。いつもそういう流れでしたので、僕も江川も、二人にしかできない野球を作っていってるという自負はありましたよね」(宇都宮ミゲル著「一球の記憶」朝日新聞出版)。

 両者の対決の中で、掛布が最も印象に残っているのは、82年9月4日の8回2死二塁での打席。点差はわずか1点。掛布は6回に江川の速球に詰まりながらも右前にタイムリーを放っており、巨人・藤田元司監督の指示は敬遠だった。

 この時点で、江川は9試合連続無四球を記録し、阪神時代の小山正明のセ・リーグ記録まであと「1」に迫っていたが、V争いにかかわる大事な試合を確実に勝ち切るためにも、掛布との勝負を避けるのは、ある意味仕方がなかった。

 直後、江川はライバル対決を期待する大観衆の前で真剣勝負ができない悔しさと「オレはそこまでのピッチャーなのか」という自身への怒りをボールに込めて、打席の掛布が「こんなに速かったの」と驚くほどの豪速球を4球続けて投げ込んだ。本塁打ではなく、敬遠の場面が最も印象に残っているというのも、時代を超えて語り継がれる両ライバルならではのエピソードと言えるかもしれない。

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