
横浜時代の1998年以来、26年ぶりの日本一を昨年達成したDeNAだが、この間には10年連続でBクラスに沈むなど長い暗黒時代があった。しかし、FA交渉のちょっとした成り行き次第では、横浜は名選手たちを獲得し、違った歴史を残していた可能性がある。
日本球界にFA制度が導入されたのは今から32年前、93年オフにさかのぼる。この制度を積極的に利用し、大型補強を敢行したのが巨人だった。落合博満、広澤克実、川口和久、清原和博、工藤公康、江藤智、小笠原道大、村田修一など他球団のエースや4番打者を次々に獲得した。派手な戦力補強には賛否両論の声があったが、巨人が豊富な資金力でFA市場の主役となっていたのは確かだ。
だが、実は横浜もFAによって名選手たちの獲得を目指し、寸前のところで逃してきたのだという。当時取材していたスポーツ紙デスクが明かす。
「横浜(DeNA)は、村田修一、内川聖一、梶谷隆幸など主力選手が他球団にFAで流出してきたイメージが強いかもしれませんが、97年から5年連続Aクラスだった当時は、他球団の選手から『横浜でプレーしたい』と名指しで希望されるほどの人気球団でした。まだ交流戦が始まる前で、セ・リーグ球団のほうが注目度も高かった側面があります。同じ関東圏の巨人よりはメディアの扱いが小さく、プレーに集中できる環境ということも、プラスに働いたのかもしれません」
そしてスポーツ紙デスクは、「実際に江藤智、山崎武司、下柳剛らは、FA権を行使した際、横浜移籍が確実視されていました」と振り返る。
長嶋監督のラブコールで決まった巨人移籍
広島の4番として2度の本塁打王に輝いた江藤がFA権を行使したのは99年オフ。セ・リーグの複数球団が、球界を代表する長距離砲の獲得に乗り出した。最終的に巨人に移籍したが、これは意外な決断だったという。広島のテレビ関係者が説明する。
「阪神、中日も獲得を目指していましたが、江藤は東京出身なので在京球団を希望していました。横浜も江藤を高く評価していたうえ、江藤と同じ三塁が本職の進藤達哉(現DeNAベンチコーチ)がFA宣言してパ・リーグ移籍が濃厚とみられたため、江藤の横浜移籍は確定と思われました。それが急転、進藤が横浜残留を決断したことで、風向きが変わりました。巨人が江藤獲りに参戦し、当時監督だった長嶋茂雄さん(現巨人終身名誉監督)が直接出馬して熱烈なラブコールを送ったことで、巨人移籍が決まりました」