万博の年はなぜか強いロッテ、今年も奇跡が起きる?(写真は31年ぶりの日本一を決めた2005年)
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 大阪市の人工島「夢洲」で開催中の大阪・関西万博の入場者数が累計200万人を突破した(関係者も含む)。万博(国際万国博覧会)は、大規模なものは5年に1度のペースで開催されているが、プロ野球界には「万博が日本で開催された年は強い」といわれるチームが存在する。1970年の大阪万博開催年にリーグ優勝、2005年の愛知万博開催年に日本一を達成したロッテである。

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 日本で最初の万博・大阪万博が開催された70年、パ・リーグは前年まで3連覇中の阪急がV争いの本命。万博会場が阪急沿線の吹田市とあって、西本幸雄監督も「大阪万博の年を優勝で飾る」と意欲満々だった。

 ところが、開幕10試合で3勝7敗と投打がかみ合わず、5月以降もBクラスに低迷。もたつく王者を尻目に首位浮上したのが、前年3位のロッテだった。

 6、7月に27勝9敗1分と一気に突っ走ったロッテは、球宴時には2位・南海に8.5ゲーム差、最終的に10.5ゲーム差のぶっちぎりVを果たした。

 投手陣は25勝の成田文男、21勝の木樽正明、16勝の小山正明の先発3本柱が安定。木樽はMVP、成田は最多勝に輝いた。打線も、狭くて本塁打が出やすい本拠地・東京球場の利を生かし、アルトマンの30本塁打を筆頭に5人が20本塁打以上を記録。6月には中日の主砲・江藤慎一もトレードで加入し、鬼に金棒となった。

 球団では1960年の大毎時代以来10年ぶりの優勝に、濃人渉監督も「長い野球生活の中で、1度は獲りたいと思っていたペナントが獲得でき、こんなうれしいことはない」と感無量だった。

 大阪万博といえば、岡本太郎がデザインしたシンボル・太陽の塔が知られているが、当時ロッテチョコレートのおまけの景品だったと思われる太陽の塔のソフビ貯金箱は、現在もレア物として、ネットオークションに出品されている。

 大阪万博から35年後。愛知万博(愛・地球博)が開催された2005年にも、ロッテは千葉移転後、初の日本一に輝いている。

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