
――確かにお父さんは有名人ですけど、それが嫌だなと思ったのはどうしてなんですか?
ああ。でも、名字が珍しいので、小さい頃から、たとえば病院とか行っても名字を言うだけで「古舘さんって」って言われるんですよ。でも子ども心に、それを認めると家族にとってよくないんじゃないかみたいな気持ちがあって。自分は何者でもない人間なのに、その息子だということを自分が認めていいのかって思っていたんですよ。自分は隠れなきゃいけない存在だというような、勝手な自意識があったのかもしれない。本当に見ず知らずのおっちゃんとかに「お父さんって家でどうなの?」とか聞かれるんですよ。
――そうなんですね。
病院の医者とか、見ず知らずの人にですよ? そこで「こうなんです」って言うのはちょっと違うじゃないですか。かといって、子どもだから嘘もつけなくて、何と言っていいかわからない。そういうのが積み重なって、こじれていっちゃったのかもしれないですね。
父の話は超タブー
――何よりもまず「父の息子」というのが先にきてしまうんですね。
昔はそんな感じでした。それこそ最初にThe SALOVERSでメジャーデビューした頃なんて、その話は超タブーでしたからね。話に父親の名前が出たら、僕、帰ったりしちゃうレベルでしたから。後から聞いたんですけど、スタッフがみんな、その話題はNGにしていたみたいで。それが今では一緒にバラエティー番組に出たりしてますからね(笑)。
――そうなれたのは何がきっかけだったんですか?
やっぱり20代が挫折の方が大きかったからだと思います。自分に自信がついていくよりも、自分の自信が削られていくような経験の方が多かったんで。そのおかげっていうとちょっと負け惜しみっぽいですけど、それで自意識過剰が取れていった部分はあります。
――そこが、もしかすると外から見ている古舘佑太郎という人と、古舘さん自身が感じている姿との間にあるギャップなのかなと。つまり、10代でデビューして、CDを出してツアーをやって、フェスにも出たりしているっていう状況ははたから見たら順風満帆に映っていたと思うんです。そこに違和感があった?
違和感というよりも、むしろそうやって豪華なレールを敷いてもらっているのに、自分たちが結果を出せないということに対して異常に罪悪感が強かったです。とにかく思考がネガティブになっていって、申し訳ないし恥ずかしいしみたいな感覚でしたね。それこそいろいろなコンプレックスを解消するためにバンドや音楽を始めたのに、その音楽自体までもがコンプレックスの対象になってしまったというか。今思うと視野が狭かったんだと思いますけどね。