初めて父親がライブを観に来た
――でも、「息子である」というのは圧倒的な事実なわけじゃないですか。そこと折り合いがつくようになっていったのはいつ頃からだったんですか?
でも、15年にThe SALOVERSが無期限活動休止に入る頃にはもう楽になっていた気がします。20歳ぐらいまでだったんじゃないですか、こじれていたのは。大人になっていたし、色々なことも知れたし。別に二世タレントって悪いことじゃないし、自分の気の持ちようというか。いつまでも環境のせいになんかしてられないって思うようになりましたね。
そう考えるようになってから数年後、印象的な出来事がありました。THE 2(The SALOVERSの活動休止後に結成したバンド)で初めて父親がライブを観に来たんです。渋谷クラブクアトロでライブをやる時に、Twitter(現X)にノリで「父上へ まだ席に余裕があるので、初めて息子のLIVE観に来ませんか?」ってつぶやいたら、それを父親の事務所の若い人が本人に見せたらしく、ショートメールで「行きます」って来たんです(笑)。それで本当に来ちゃったんですよね。

――僕もその時現場にいましたけど、お父さんをお見かけして「あ、いる!」と思いました(笑)。
それで、僕がライブで「ルシファー」という曲の時にいつもやっていた「ルシファー漫談」というのがあって。〈親のこと裏切ってしまいたい〉っていう歌詞があるんですけど、そこでいつも僕が「古舘伊知郎の息子なのによお!」とか言ってたんです。それをそのクアトロでもやったら、みんな父親がいるっていうのは知っていたので、とんでもない盛り上がりになったんです。クアトロが大合唱になって。その光景を見た時に気づいたんです。たぶんその時のクアトロに「二世」は僕だけなんですよ。僕みたいな境遇で育った人なんて一人もいないんですよ。なのにみんな目をキラキラさせて、一緒になって歌ってくれた。それを見て、何年もウジウジ抱えていた自分のコンプレックスで、こんなに人が喜んでくれるのかって思ったんです。めちゃくちゃ勉強になりましたね、「あ、これって面白いんだ」って。
――2を始めてから、お父さんのことも普通に話すようになったじゃないですか。やっぱり色々なコンプレックスが消えていった時期なのかなとも思ったんです。
まあ、父親の件については「仲良くなった」っていうのが大きいですよね。父も父で年齢を重ねて丸くなってきて、僕も僕で色々あって大人になっていった。僕が役者業でテレビに出たり、父親も報道やめてバラエティーとかドラマに出たりするようになって、お互いの仕事もちょっと近づいてきて、僕もめちゃくちゃ父を尊敬できるようになった――もともと尊敬していたんだけど、反発していたのがなくなったんです。父も父で、僕の活動を応援こそしないけど、ちゃんと見てくれるというか。それで仲良くなった。
でも根本的には、2が始まってからは僕の牙みたいなのはもう抜かれていたと思います。牙を磨くことよりも、もっと上に行くんだみたいなことばかりだったので。よくも悪くも破綻せず、優等生みたいな考えになっていたのかもしれない。
(構成/ライター・小川智宏、撮影/写真映像部・松永卓也)
