そんな精神状態で被害届を出すのは、大変なことだった。なにしろ被害届を出すために電車に乗らなければいけなかった。思い出したくないことを語らなければいけなかった。しかも、全て話したからといって「男が起訴されるとは限らない」とも聞かされた。さらに男はすぐに弁護士をつけ、示談の相談をしてきた。男の弁護士が提示してきた金額を見て、彼女は声が出なくなったという。あまりにも安いと感じたからだ。
「娘は満員電車に乗れなくて授業に出られなかったり、すいている電車に乗るために、わざわざすごい遠回りをして通学したりしている。被害者なのに、びくびくしている。それが、こんな金額で示談しろだなんて!」
ネットを見ても、どこに相談したらいいのかわからない。男の弁護士に言いくるめられるような気持ち悪さを感じ、検察が頼りになるのかわからず、娘の具合はどんどん悪くなる。そこで彼女は私に相談してくれたのだった。
どんなに性被害の話を聞いても、慣れることはなく、毎回動揺する。だいたい、東京駅からディズニーランドのある千葉に向かう列車は朝から若い女性で混雑していて、それを狙う痴漢が少なくないことなど、私は初めて知った。そんなおぞましい話があるのかと、呼吸が荒くなる。そしてなぜ、被害にあった側が行き場を失うような思いになるのだろう。
実際に彼女が言うように、「痴漢」「被害届」「示談」などというワードでネット検索すると、上位に出てくるのは「痴漢をした人」に呼びかける弁護士事務所の広告のような解説ページが圧倒的に多い。「痴漢をして被害届を出された方へ」「痴漢で被害届が出されても取り下げてもらえる?」「痴漢してしまった加害者の方へ」「実名報道されたくない?」「痴漢で逃げてしまったら何が起きる?」……。