
「世の中がカラフルに見えるようになったんです。身の回りにあるモノのすべてに、誰かの思いが乗っているのだと。そして夢中になって働く人の姿は輝いて見えた。いつしか、自分も“向こう側”に行ってみたいと憧れが芽生えてしまった」
その後、外資系投資顧問に移籍し、ファンドマネジャーとして頭角を現す中、突如、藤野は大きな選択を迫られることになる。世界市場がITに沸いていた2000年、著名なベンチャーキャピタリスト、ジョージ・コズメツキーから内弟子の誘いを受けたのだ。
YESと答えていれば、後にGAFAMと呼ばれる巨大企業の初期投資に携わり、数年で億万長者になっていたかもしれない。しかし、藤野は丁重に断る決断をした。運用会社で働きながら年々募らせていた思い──「日本の将来を明るくする、理想的な国民的な投資信託をつくりたい」を、夢ではなく現実にすると心を決めたからだ。
従来の運用会社の販売手数料で稼ぐビジネスモデルでは、将来の成長を見込める優良企業を長期で応援することは不可能だと、限界を感じていた。「ある所からない所へお金を動かし、パワーの流れを変えるのが金融の本質」。3年後、藤野は思いを共にする3人で独立系資産運用会社、レオス・キャピタルワークスを立ち上げた。レオスとはギリシャ語で「流れ」という意味だ。
藤野が選んだ道は険しいものだった。NISAの追い風で市民権を得た今と違って、長期運用を前提にして月1万円などの小口で参加できる「積み立て投資」はマイナーだった時代だ。08年に満を持して「ひふみ投信」をリリースするも、大手の販売会社は軒並み渋い反応だった。
渋る理由は明快で、シニア層をターゲットにまとまった退職金を一括で預かるほうが、一度に高額の手数料が入るからだ。また、長期運用で利益を出したとて、異動のある職場では評価につながりにくいので販売の動機にならない。そんな構造的問題を突破するために、藤野はまず個人投資家に直販する営業スタイルで挑んだ。それも現役の勤労世代をターゲットにした。
「投資は過去にはできない。未来にしかできないのが投資なんです。投資の定義を聞かれたら、『未来を信じる力』なのだと答えています」
自分や家族の人生、そして社会を明るくするエネルギーとしてお金を使う。「未来はあるが、まとまったお金はない」若い世代と積み立て投資は相性がいい。シニア層を狙う大手が顧客獲得のために「資産運用セミナー」を開く平日昼間には運用業務に集中し、現役世代が仕事帰りに参加できる夜間や週末にセミナーを開催する、というスタイルは今も変わらない。だから大手と競合せず、生き延びたとも言える。「僕たちはずっと“業界のヘリ”で営業をしてきたんですよ」