顧客向けセミナー「ひふみアカデミー」が始まる前、軽食を取りながらのミーティング風景。藤野(右から2人目)の左にいるのは創業メンバーで副社長の湯浅光裕。日ごろから、社員の私生活や家族の健康状態についても聞くコミュニケーションを大切にしている(撮影:松永卓也)

 志を共にしたコモンズ投信会長・渋澤健とセゾン投信社長(当時)・中野晴啓と「草食投資隊」を結成して始めたのが、長期投資の魅力を伝えるキャラバン。2年かけて47都道府県を回った。初見で職業を当てる評判の人物から「あなたたち、NPOの人たちでしょう」と言われ、「投資家なのに金の匂いがしないのか」と笑い合ったときはまだ多少の余裕があった。短期の売買益を目的とした“肉食系投資”と対照的な、じっくりと育てる長期投資の価値はきっと多くの人々に響くと信じていたが、反応はあまりにも厳しいものだった。

リーマンショック直撃 1株1円で全株式を売却

 地元紙で3度広告まで打って3人の講師で臨んだ愛媛の会場に来たのはたった4人。その次の名古屋でのセミナーに集まったのもわずか4人だった。数カ月後に広島で開催した際には30人ほど集まり、「いい話を聞けた。すぐに問い合わせて口座を開きたい」と握手を求められ喜ぶも、結果は資料請求すらゼロ。何度も心が折れかけた。

「あんなに盛り上がったはずなのになぜ」と思い詰めた藤野を救ったのは、保険業界に風穴を開けたライフネット生命の創業者、出口治明の「5度塗り、6度塗りなんですわ」という言葉だった。

「人は日常に忙しい。新たな行動を起こしてもらうには、繰り返し接点をつくる必要がある。諦めずに伝え続けよという教えに奮起しました」

 地道に発信を続けていった結果、口座開設の数は徐々に伸びた。決定的だったのは藤野のバラエティ番組出演だったが、セミナーで訪れた地域の申し込みが多かったことからも、「5度塗り」の効果は明らかだった。今では平日夜のセミナーにオンラインを含め数百人を集める。「一人ひとり、一つひとつを大切に、コツコツ続ける」という藤野の仕事哲学はこのときに確立したのだろう。そして、その姿勢は長期投資そのものとも重なる。

 現在の飛躍につながる地道な5度塗りの物語には、壮大な前章がある。

「ひふみ投信」を世に出したのは08年。その翌年、不運にもリーマンショックの直撃を受けた。業績は悪化し、創業7年目にして藤野は全株式を1株1円で売却せざるを得ない状況へと追い込まれた。

「銀行窓口で売却金を受け取った後、オフィスに戻る気にもなれず、ふらふらと品川の水族館に寄ったんです。イルカショーを観ながら、『あんなふうに無邪気に跳ぶイルカになれたら楽なのに』とぼんやり思ったりして。周りの観客席を見渡したら、暗い顔をしたおじさんが数人座っている。ああ、お仲間だなと虚しさが募りましたね」

 誘いの声はいくつかあり、会社を去るという選択もちらついた。失意の藤野を踏み止まらせたのは、準創業メンバーである白水美樹の訴えだった。「藤野さんが目指した『理想の投資信託』はできたんですか? 本当に最後までやり切ったと言えるんですか?」。頬を伝う一筋の涙にハッとした。

 仲間と共に一平社員として、売却後の新たなオフィスで出直した。全国行脚を始めたのはこの頃だ。営業担当として藤野と辛苦を分け合ってきた五十嵐毅(62)は「私の向かいの席に座っていたあの頃の彼の、覚悟を決めたような表情は忘れられない」とふり返る。トランプ政権下にマーケットが乱高下する中でも「泰然自若の人」という印象を与える藤野だが、それは荒波を乗り越えた上の凪なのだ。(文中敬称略)

(文・宮本恵理子)

1株1円、計3240円で会社を売却したときに手にした現金をそのまま額に入れて、「初心を忘れないために」社長室に保管している。疲弊していた当時と比べて「ずいぶん若返った」と周りからよく言われる(撮影:松永卓也)

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