疾患の流行には火山噴火や気候変動などの自然現象に加えて、戦争や民族の移動、難民など、社会変動が関わってくる。
この時期はどうだったのか。
1206年にチンギスハンが創設したモンゴル帝国は、14世紀には徐々に解体に向かっていた。だが、何度かの内戦を経たのちに東アジアの大元ウルス(元朝)、中央アジアのチャガタイ・ウルス(チャガタイ・ハン国)、キプチャク草原のジョチ・ウルス(キプチャク・ハン国)、西アジアのフレグ・ウルス(イル・ハン国)の4大政権が元を盟主とする緩やかな連合国家となっていった。この時代はユーラシア大陸全域がいわゆる「パクス・モンゴリカ」というべき平和な状態であった。モンゴル諸国家は山賊海賊を退治して商業路の安全を確保し、さらに関税を撤廃するという近代的な政策をとったので、陸路海路ともに欧州とアジアの国際交流が発展した。
しかし、だ。今回のCOVID-19が瞬く間にパンデミックになったように、グローバル化による人々の移動は感染症の蔓延と表裏一体である。
シルクロードの旅
シルクロード(絲綢之路)というと、一定以上の年齢層の読者は井上靖の西域小説集や平山郁夫の絵画、そして喜多郎のテーマ音楽に乗った1980年代NHKの番組に懐かしい思いを抱くと思う。筆者の同門でも、これに憧れて新疆ウイグル自治区やモンゴルに国際協力機構(JICA)や世界保健機関(WHO)の仕事で出かけた医師が何人もいるが、乾燥と砂埃、寒暖の変化といった自然条件に加え、宗教や政治体制の問題などにより、現実には厳しいところのようである。
東西の交易路は古代からあったに違いないが、「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンがSeidenstraßeとして提唱したのに始まる。リヒトホーフェンの弟子で、自らこの地域を踏破し「楼蘭」の遺跡を発見したスヴェン・ヘディンが、中央アジア旅行記の書名としたことで人口に膾炙(かいしゃ)した。現代では中国の「一帯一路」や「中露蒙経済回廊」などの計画はあるが、各国の思惑に加えてロシアによるウクライナ侵略やイスラム原理主義者の跋扈、中国による少数民族弾圧などがあり、モンゴル時代のように安全に旅行できるとはいいがたい。
中世のモンゴル帝国というと、武力でユーラシア大陸を蹂躙し、諸民族を支配した印象が強いが、政治的安定によって東西の交流を担保した功は大きいといえる。ただ、その陰にグローバリズムによる感染拡大があったことも忘れてはならない。
※AERAオンライン限定記事