江頭は「やったことは台本に書いてあったわけではないから、自分が悪い」という趣旨の発言をしていたが、彼のキャラクターを考えれば、今回のような行動を取る可能性は十分に予測できたはずだ。そうしたリスクを踏まえた上でキャスティングされている以上、一義的には放送局に責任がある。
大きく騒がれた要因は何か?
また、このような問題が起こると、「女性へのセクハラ的なお笑いは時代遅れ」といった意見が出てくる。たしかに、近年メディアや社会全体で性加害問題への意識が高まっており、その流れの中で今回の件も問題視されたというのは理解できる。特に、バラエティー番組において「セクハラ的な演出で女性が不快に感じる状況を作ること」を笑いにするのは、時代にそぐわなくなっている。
今回の件が大きく騒がれた要因の1つは、永野のリアクションにある。彼女は俳優が本業であり、バラエティーに出演することにはそれほど慣れていない。間近で江頭のパフォーマンスを目にして、自然な驚きや困惑の表情を見せたことで、視聴者に「本気で嫌がっている」という印象を与えてしまった。永野自身は「そんなつもりはなかった」と語っているが、そうであったとしても、意図はあまり伝わっていなかった。
さらに、生放送という点も重要だ。通常の収録番組であれば、問題のあるシーンはあとから編集でカットできる。しかし、生放送番組ではそうした調整ができず、素材がそのまま流れてしまう。そのため、事前の打ち合わせやリスク管理がより重要になる。結果的には、今回のケースでは制作側のリスク管理が不十分だったということになるのかもしれない。
江頭2:50のイメージの定着も
バラエティー番組であっても、行き過ぎたセクハラ的表現が許されないのは当然だ。しかし、個人的には、今回の件は「バラエティー慣れしていない俳優」と「生放送」という2つの要素からたまたま起こってしまった事故のようなものではないかと思う。
さらに言えば、昔と違って、現在では江頭に「実は良い人」というイメージが定着しているため、彼の芸を批判するような意見はほとんど見られなかった。江頭の芸風に対する世間の理解が進んで、人気が高まったことで、炎上の火の粉が彼自身にはほとんど降りかからなかった。
江頭にはこのまま唯一無二の芸の道を貫いていってほしいし、放送局には引き続き、ここぞという場面で彼を起用する勇気を持ってほしい。(お笑い評論家・ラリー遠田)