
3月28日に開幕するプロ野球の2025年シーズン。長いペナントレースを制するには、いい選手を揃えることが大きな要素となる。だが、過去にはメンバーが揃っていたにもかかわらず、思うように勝てなかったチームも少なからず存在する。
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野村謙二郎、前田智徳、江藤智、金本知憲、緒方孝市、ロペスら、トップレベルの強打者をズラリと並べながら、優勝に届かなかったのが、1990年代後半の広島だ。
94年に就任した三村敏之監督は、95年の2位を最高に5年間で4度チームをAクラスに導いたが、打線に比して、投手陣の頭数が足りないことが、勝ち切れない大きな要因だった。
中でも96年は、強力打線と紀藤真琴、佐々岡真司らの投手陣がかみ合い、6月下旬から9連勝を記録するなど、首位を独走。5年ぶりの優勝を期待したファンも多かったはずだ。
だが、夏場以降、投手陣が息切れし、連勝が止まった7月9日からの1カ月余りで7勝16敗と急失速。さらに8月29日の巨人戦で、4番・江藤が打球を顔面に受け、右目眼窩底骨折で戦線離脱したことも追い打ちをかけ、最大11.5ゲーム差あった巨人に“メーク・ドラマ”を許した。
12球団トップのチーム打率.281をマークした打線に対し、チーム防御率はリーグ4位の4.07。リーグトップの3.47を記録した巨人に投手力の差で後手を踏むことになった。三村監督も「ペナントレースは130試合でどれだけの力があるかどうかです。今年はこれだけの力しかなかったのでしょう」と総合力の不足を敗因に挙げた。
その後も広島は、澤崎俊和、小林幹英ら1年目に活躍した投手が“2年目のジンクス”に陥るなど、“弱投”を克服できず、打線も江藤、金本らの中心打者がFAで相次いで流出した結果、2016年まで25年の長きにわたって優勝から遠ざかることになった。
毎年大型補強を繰り返しながら、長くBクラスで低迷を続けたのが、ダイエーだ。
1988年オフに南海を買収し、福岡を新本拠地にスタートしたダイエーは、ドラフトで若田部健一、小久保裕紀、城島健司、井口忠仁(資仁)、松中信彦、トレードやFAで秋山幸二、松永浩美、工藤公康、石毛宏典ら“勝てる”メンバーを次々に入団させながら、97年まで9年連続Bクラス、最下位3度と、なかなか結果を出せなかった。