その理由は、エースに次ぐ投手を十分揃えられなかったことと、当時よく言われた「大味な野球」が挙げられる。
川崎球場時代は一発狙いの野球で、本塁打攻勢で豪快に打ち勝ったと思えば、二桁失点でボロ負けすることもしばしば。広い横浜スタジアムが本拠地になってからは、本塁打数も激減したが、三振や併殺打は相変わらず多く、「打てば勝つけど、打てなければ負ける」という大味野球はなかなか変わらなかった。
それでも、管理野球やスモールベースボールの対極にある個性的なチームカラーは、多くのファンに愛された。
85年以降も緻密な野球への転換が成功せず低迷が続いたが、98年、“のびのび野球”の権藤博監督の下、マシンガン打線が炸裂し、38年ぶりのリーグ優勝と日本一を達成した。(文・久保田龍雄)

