さすがに1989年生まれの私にとって、演歌は渋過ぎた。全く心を惹ひかれなかった。日本文化の中で私の心を惹いたのは別のもの――アニメ、漫画、ゲームなのだ。

 幼稚園時代から、テレビで流れる日本のアニメを何となく見ていた。当時流れていたアニメのタイトルはほとんど忘れており、唯一覚えているのは『美少女戦士セーラームーン』(中国語のタイトルは『美少女戰士』)だけ。とはいえ親が厳しく、ほとんどテレビを観させてくれなかったので、ごくたまにしか観られず、物語もよく分かっていなかった。

 小学校に上がってから触れる作品が増えた。低学年の時は『名探偵コナン』『ドラえもん』が大好きだった。当時の教室の本棚は日本で言う学級文庫みたいな感じで、生徒がおのおの本を持ち寄り、誰でも自由に読むことができる仕組みになっていた。その中に『名探偵コナン』の漫画(最初の数巻分だったと思う)が入っていて、一読してすぐにハマった。あの頃、私の親はゲームセンターを経営していて、店には日本製のアーケードゲーム機がたくさん置いてあり、漫画も売っていた。私が学校でいい成績を取ると、親はご褒美として商品の漫画のフィルムを剝がして読ませてくれて、読み終わってからまたフィルムに包んで本棚に戻した。当時はまだ著作権が緩かった時代で、世界的に大流行した『ドラえもん』は台湾では無数の海賊版が存在した。五〜十個くらいのエピソードを適当に集めた薄い合本が文具店の店先で売られていて、紙の質もよくないし印刷も劣悪なので値段が安く、一冊十〜二十元(一元≒三円)くらい。おかげでなけなしのお小遣いでも買えた。下校の途中で文具店を訪れるのはいつも楽しみだった。ちなみに、海賊版が乱立していた時代の『ドラえもん』の中国語タイトルは『小叮噹(シャウディンダン)』で、後に音訳重視で『哆啦A夢(ドゥオラーエーモン)』と改められた。

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ポケモンとの出会い