その後、アスレチックスの誘いを断り、問題行動の数々で解雇されたバンプ・ウィルスの後釜として阪急に入団。前年、来日外国人初の三冠王に輝いたブーマー・ウェルズとの大砲コンビで活躍が期待された。

 開幕直後の4月は5本塁打にとどまったが、5月に10本塁打と固め打ち。リーグトップの秋山幸二(西武)の17本塁打に2本差に迫った。対抗意識を燃やしたヒックスは、試合が終わるたびにバルボン通訳に「今日、秋山は打ったか?」と尋ね、「出足悪くて……。それを考えれば、夏場の投手がバテるころにも、もっと打てると思うし、キングは狙うよ」(週刊ベースボール6月17日号)と逆転宣言も飛び出した。

 だが、皮肉にもその夏場が“鬼門”となる。日本の投手の変化球に対応できず、6月は3本、7月は2本と急失速。8月にはスタメンわずか6試合と出番が激減した。

 結局、打率.207、22本塁打、57打点、91三振と、日本の野球に適応できないまま、1年で解雇されてしまった。

 4番不在のチームの大砲と期待されながら、ケガなどであまり活躍できなかったのが、93年に広島入りしたルイス・メディーナだ。

 インディアンス(現ガーディアンズ)では通算54試合と出場機会に恵まれなかったが、86年に1Aウォータールーで35本塁打、110打点、88年には3Aコロラドスプリングスで28本塁打を記録するなど、マイナーでは押しも押されぬ長距離砲だった。92年オフ、20本塁打以上の打者が不在の広島に長打力を買われ、来日が決まる。

 3Aコロラドスプリングス時代にヤクルト、近鉄で活躍したチャーリー・マニエル監督から日本の投手の変化球への対策を伝授されたメディーナは「パズルにたとえたら、最後の一片を埋め込む役目をはたしたい」と日本での活躍を誓う。

 そして、オープン戦では3試合で2打席連続弾を記録するなど、打率.455、8本塁打、21打点で見事三冠王に輝いた。

 だが、好事魔多し。4番打者としてシーズン開幕を迎えたまでは良かったが、来日初打点を挙げた4月13日の横浜戦で、5回に三遊間安打を放った際に二塁を欲張り、挟殺プレーの直後、一塁にヘッドスライディングして右肩を打撲。右肩関節内骨折の重傷を負い、たった3試合出場しただけで、残りシーズンを棒に振ってしまう。

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1年目の大ケガさえなければ?