雪辱を期した翌94年は、5月3日の阪神戦で復帰をはたすと、その後は主に5番打者として106試合に出場し、打率.271、14本塁打、70打点とまずまずの結果を残した。その一方で、リーグ最多の106三振も記録し、好不調の波も目についたが、7月に勝利打点「7」を記録して月間MVPを獲得するなどの活躍が評価され、現状維持の年俸65万ドル(当時のレートで約6500万円)で残留が決まる。

 ところが、3年目の95年は腰痛で出遅れ、2年続けて開幕に間に合わないというめぐり合わせの悪さ。それでも、シーズン初出場となった5月5日の阪神戦から8試合で打率.393、3本塁打と、出遅れた分を取り戻すかの勢いだったが、その後は打撃不振が続き、35試合に出場しただけで退団。結果的に1年目のつまずきが最後まで尾を引いた感もある。(文・久保田龍雄)

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