知的レベルの異なる学年のクラスで過ごす居心地の悪さを想像すると、「周囲とのなじめなさ」も納得できる。

「高校1年生に対して、小学6年生の授業をまじめに膝の上に手を置いて聞くようにと言って、その通りにするでしょうか。高校1年生に対して、休み時間は6年生と意気投合して仲良く遊ぶように言って、そうできるでしょうか」

 取材したギフテッドの当事者の方からは「授業はつまらない」「集団の中で異物ととらえられた」といった声を聞いた。当事者たちがそう話す理由も角谷教授の話を聞いて合点した。ぼーっとしているように見える子どもがいれば、教員は「やる気がない」と判断するかもしれない。教員を質問攻めする子どもがいれば、「嫌がらせをしようとしているのかもしれない」と感じるかもしれない。でも、ギフテッドの子どもたちからすると、純粋な知的欲求からくる行動であって、そこには他者を責めるような意図はないのだという。

「授業に集中できない、ルールを守れない、集団行動ができない、わがままなど、教員から見ると『なぜだ?』と思う行動があるかもしれません。でも、その行動が見られる子どもが悪いわけでもなく、教員としての力量が足りないからでもない。ギフテッドの、一見、才能とは無関係に見えるような特性が、実は知的能力の高さと関係があることが理解できると、なぜそのような行動をとるのか筋が通るような体験をすると思います」

(年齢は2023年3月時点のものです)

※<【後編】「ギフテッド=天才」ではない 「発達障害」と混同する特性と行動の誤解を専門家が解く>に続く

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