ただ驚いたのは、これが30年も前のことだという事実。虫との距離感がおかしくなったのは、今に始まったことではないのだ。分岐はどこにあるのか。長谷川さんに直接尋ねてみた。
「おそらく高度経済成長期の1960年代から、その後の80年代ぐらいまでが、日本人の自然との向き合い方が変わる分かれ道だったと思います」
長谷川さんは、災害リスクが高いエリアにまで進んだ住宅造成やバブル期のゴルフ場開発ラッシュなどを挙げ、こう嘆いた。
「経済成長のため自然との関係を壊しても開発すればいいんだ、と思い込んできた。その悪い面が今、どんどん出ていると思います」
自然への対処能力低下
長谷川さんは現代の都市生活者について、「頭では自然環境の大切さを理解していても、身体と脳が乖離してしまっている」状態だと指摘する。
「気候変動を実感し、環境保全の大切さも十分認識している。どこか遠くに手つかずの自然を残してしかるべきだとも考えている。でも、自分の日常生活は人工的なもので守られていたい、と思っている人がほとんどではないでしょうか」
長谷川さんは「里山」を例に、「ほんの一昔前まで日本人は自然と一体になって暮らす知恵があった」と振り返りつつ、こんな感慨を漏らした。
「現代人は暮らしと自然を切り離す道を選んだ結果、自然への対処能力を下げてしまいました。この流れは阻止できないでしょう」
なぜ現代人には虫嫌いが多いのか。その原因を進化心理学に基づいて検証したのが、千葉大学大学院園芸学研究院の深野祐也准教授(発表当時は東京大学助教)らが2021年に発表した研究だ。
「虫に向けられる否定的な感情の多くは、恐怖ではなく“嫌悪”です。進化的観点から見ると、嫌悪という感情の主な役割は病原体回避のための心理的適応です」(深野さん)
人間には病原体に感染しないよう回避する感情・認知・行動的反応があり、これを「行動免疫システム」と呼ぶ。その中心となる感情が「嫌悪」だ。