真冬に「虫」の話題と言われてもピンとこない人が多いだろう。しかし、このシーズンだからこそ、冷静かつ客観的に「虫との距離感」について考えてみたい。AERA 2025年1月20日号より。
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何を隠そう筆者自身、「なぜこうなったのか」と思うほど、虫との距離感がおかしくなっている一人だ。
郊外で育った子どもの頃は、通学途中にバッタやカマキリ、トンボを素手で捕獲することも珍しくなかった。近所の雑木林に出かけ、カブトムシやクワガタを捕獲した時は野球帽の中に収容していた。頭の上でムズムズ動く甲虫類の感触は今もありありと思い出せる。
だが、都内で暮らす今は……。甲虫を中に入れた帽子をかぶるなんて絶対無理。そう断言できるほど虫との接触、いや遭遇ですら「異常事態」と認知するようになってしまった。
飼い猫がマンションのベランダで捕まえたセミやコガネムシをくわえて部屋に戻ってくることが年数回ある。その都度、仕事も睡眠も食事も中断し、一刻も早く対処することに全神経を注ぐ。ハエ一匹入ってきても、「どうやって部屋の外に逃がそうか」という問題意識で頭がいっぱいになる。
高度経済成長期に変化
だがこれは自分に限らず、虫との距離感が難しい社会になったからではないか──。
そう確信したのは、進化生物学者で日本芸術文化振興会理事長の長谷川眞理子さんが執筆した、〈激変する日本人の暮らし 「自然と一体」失う貧しさ〉という見出しのエッセイ(2024年11月10日付毎日新聞)に出合ったからだ。ご本人の了解を得て、一部引用させていただく。
「先日、電車の中にカゲロウのような昆虫が入ってきたときには、乗客たちはパニックに陥った。その数年前、バスの中にガが入ってきたときも同じで、私がそれをパッと手でつかんで窓の外に出してやると、他の乗客たちはみな、私が魔法使いででもあるかのように不審な目で見ていた」
多摩動物公園(東京都日野市)の「昆虫館」の前を訪れた際のエピソードも納得させられた。
「事情があって多摩動物公園の昆虫館の前で人と待ち合わせることにした。少し早く着いたので、館の前に立って道行く人々を観察していた。すると、ほとんどの人は『あら気持ち悪い、昆虫だって!』というようなことを言って通り過ぎていく。虫に興味がありそうな人はほとんどいない。これが、わざわざ多摩動物公園に来た人々なのだ」