畠中さんは「つながることの大切さ」を訴える。
「いまの時代はネットで他人とつながることが容易になりました。SNSで『お前もひきこもり?』とコミュニケーションが取れるようになり、つながることで安心感を覚える人もいるのではないでしょうか。コロナ禍のステイホーム中に『俺たちはコロナに強い』と自らをネタにしつつ、笑い合う姿もありました」
後にも先にもない
畠中さんには忘れられない相談者がいる。1992年のこと。相談者は、50代後半の母親で、20代後半のひきこもりの息子の将来を案じていた。親とも一緒に住めない息子は、地方のアパートで独り暮らし。そんな息子のために、週2回、母親は新幹線に乗って食料を届けていたという。それが唯一の息子のライフラインだった。しかし、母親は末期がんの宣告を受け、自分の死後の息子の生活の相談に来たという。
「今でこそ『不登校』は珍しくないですが、当時の私には『誰とも話せない?』『中学から学校に行っていない?』『親とも住めない?』とかなり衝撃的でした。何を助言したのか覚えていないんです。相談を終えて、最寄り駅に向かって幹線道路の歩道を歩いていると、反対側にその女性が歩いているのが見えたんです。肩を落として歩いている姿に胸が締め付けられました。末期がんで体も苦しかったと思います。あの日ほど衝撃的な相談は後にも先にもない。息子さんが今ご存命だったら私と同じ61歳。今どうやって暮らされているのかと考えることがあります」
(AERA dot.編集部・大崎百紀)