渥美清、俳号は「風天」 永六輔 聞けなかった遺言

 先日、在日の評論家、辛淑玉さんと一緒に仕事をしたときに、こんなことを言われました。

 「永さん、『男はつらいよ』の寅さんは在日じゃないかと思ったりするんです。楽しい人だし、急に怒ったり感情の起伏が激しいじゃないですか。私はずっと同胞だと思っていましたが、そんな話を聞いたことはありませんか」

 渥美清ふんする車寅次郎。映画は四十八作も作られましたが、生い立ちはあまり明らかにされていない。僕は渥美ちゃんに一度、

 「車寅次郎の名前の由来は何なんだろうね」

 と聞いたことがあるんです。そうしたら彼が、

 「車は浅草にそういう親分がいて、その浅草にトラジ(寅次)という朝鮮半島の花の名がついた在日のやくざがいたけど」

 と言ったのを思い出します。解答は山田洋次監督の頭の中にしかないんでしょうけど、渥美ちゃんが亡くなって四年以上たっても、こういう話題で盛り上がるほど寅さんは国民の中に浸透しているんですね。

 しかし、僕は晩年の「男はつらいよ」は見ていてなんともつらかった。渥美ちゃんの体調が悪くなって、山田監督や寅さん一家は、演出したり共演したりというより、手厚く介護したホスピスでしたね。そのいたわりが見えすぎて。寅さんと渥美清は本来まったく違うのに、弱気な渥美清が映画に出ていた。

 もともと、僕と彼の出会いは焼け跡の不良少年だったころだから、五十年以上前のことです。本名は田所康雄。菊屋橋の交番にひっぱられて、

 「お前みたいな一度見たら忘れない顔は泥棒じゃなくて役者向きだ」

 と言われて、浅草のフランス座でストリップのつなぎにコントを演じた。僕は学生服姿で田所ちゃんの応援によく行った。

 NHKの「夢であいましょう」での再会も楽しかったけど、仲間との句会も忘れられない。彼は山頭火が大好きで、山頭火が歩いた道をたどったりした。俳号は「風天」。楼蘭(黒柳徹子)から、

 「オニイチャン、風天にしなさいよ」

 と言われたからだ。寅さん人気が絶頂だったころ、僕は渥美ちゃんに、

 「いつまで寅さんやるの」

 と聞いたら、彼は言った。

 「ボクサーはいいよな。セコンドがタオルを投げてくれて。役者はだれもタオルを投げてくれない」

 彼は役者として劇場、試写室にいつも一人で通うことが多かった。田所康雄、渥美清、車寅次郎と三つの顔をいつも演じ分けていた。僕なんか不器用だからそんなことはできないけれど、彼は仮面を付け替えるのをおもしろがってやっていたのかもしれない。(談)
 

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