クビでも奢ってくれた、横山やすし 宮川花子 聞けなかった遺言
大助・花子は、昔、東京でやすし師匠の付け売りで仕事さしてもらってたんです。怖いってイメージが強いかもしれんけど、この世界、礼儀や芸に厳しいのは当たり前。そのへんをしっかりやっとったら優しい人でした。そもそも女性にはみんな優しかった。ウチの大助君なんかは、よう泣かされてましたけどね。「舞台には銭が落ちとる。札束が落ちとんのに小銭ばっかり拾いやがってこのドアホが!」言うてね。(笑い)
漫才コンテストがあるときは「絶対勝たなあかん!」言うて、分析してくれました。競艇で予想するのと同じやね。要領で何点、しゃべり何点、ルックス何点、人気何点。「相手のことを調べ上げ、相手にないもので総合点を上げて戦うんや」って。だから、やすし師匠は天才やなくて、努力の人やったと私は思う。あの破天荒さも、芸人・横山やすしの形としての計算やったんやないかなぁと思うんです。でも、あるときから計算と時代がズレすぎたんでしょう。
吉本を解雇されてからは、やっぱり元気がなくなった。ウチは家も近所やし、その後も師匠とおつきあいがあったけど、見てると寂しかったです。普通の人になってしまったから。
それでも会うと、現役時代と同じようにごちそうしてくれるんです。借金とかいろいろあって、大変なときやのにね。私も自分でお金出せる状態になってましたよ。でも、それはよう言わんかった。いつも「師匠ごちそうさま、いただきます」。師匠もそれがええねん。最後までそういう人でした。
「お前ら、上方漫才大賞とってから文句言え!」ってよく言うてはったんです。九〇年にホンマにとると、師匠、イヤリングをプレゼントしてくれました。喜んでくれたやろうけど、ダマーってた。どういう気持ちやったんかな。
私ね、師匠のお通夜の翌日、舞台で泣いたんです。お客さんはまだ知らんときで、大助君が慌てて「いや実は横山さんが亡くなって、嫁ハンかわいがられてたから……」って言うたんやけど、そういうことじゃないねん。自分が言うたことにお客さんが笑ってくれる、この笑いが師匠は欲しかった。そう思ったらたまらんなったんです。
でもね、師匠は寂しがりやったから、こういうふうに話題になることを喜んでると思います。死にながら生きている状態っていうかね。それが師匠の生きた人生の続きでしょう。(談)